すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

呼んだ? 桜桃忌

昨日は梅雨の晴れ間。いにしえのまぶだちMちゃんと、がんになってから初めて会いました。「桜桃忌行こうよ」と言われて三鷹禅林寺。Mちゃんが太宰治ファンだなんて初めて知りました。Mちゃん何度も来てるらしい。お墓のまわりはお酒もタバコもフリーダム。お参りしたあとビールあけてカニ缶あけて、お墓を見ながら立ち飲みする人たち。なんなのーこのいい雰囲気。無料のガイドツアーにも参加しました。太宰治をとりまく昭和文学の人たちのエピソードなどを聞きながら、そんなに読んできたわけではないわたしが今ここにいるふしぎ。玉川上水の緑の息吹き。早咲きのさるすべり。早い夏の日ざし。太宰さんわたしのこと呼んだ?なんで?と聞いてみたくなった。最近スピ系の人っぽい自分に驚く。

 

わたしはオカルトもスピリチュアルも全然、信じていません。いや、いませんでした。必要以上に批判的に、ときには意地悪に見てきました。スピ系の人のお話は、まさに関係妄想の極みとして、そこまで思い込める情熱への憧れとして、また味わい深いネタとして、見たり聞いたりしてきました。ごめんなさい。

魂も死後の世界もない。占いは信じない。科学的に証明されて理屈の通ったことは正しい。すっきり気持ちがよい。そうでないものは、わからないから気持ちわるい。なによりスピに心酔する人は真実への探求の努力が足りず、オカルト指向によって思考をショートカットして楽しているんじゃないの?などと思ってきました。そのへんをぐいぐい責め立てる「と学会」の本などを愛読していたし、ホントに意地悪だったよねぇ、昔のわたし。だけどずっと気になって、スピ系のトピックをずっとウォッチしてきたのは、元来根掘り葉掘りなおたく気質である以上に、根っこの部分にスピ系思考を捨てきれない自分がいたからだと今は思えます。

今や心を込めて神社にお詣りするし、占いにいいことが書いてあったら正直うれしい。がんになって、必死に生き残り策を模索して、でも100%の希望なんてどこにもなくて、それで最後は神頼みかよ、スピリチュアルに改心かよ、ああここまできてしまったのかわたし・・・・いろんな思いがあります。でもそれでいいんだよね、わたし。

最近、身の回りにおこる偶然の出会い、不意に訪れる回答など、ふしぎな空気感を体感する今日このごろ。シンクロニシティだとか、内なる智叡だとか、いろんな言い方があるけれど、実は最初からすべてのソースが自分のまわりに揃っていて、こころの持ち方ひとつで、それを上手に拾い読みできるようになっていくのかもしれないなあと、これが現時点の思いです。そして、この先はどう動いていくのか。それはわからない。なるようになる。太宰治に呼ばれた、というのはあまりにも僭越で身の程知らずなことですが、そう思ったほうが空気に深みが出るし面白いからそれでいい。また読もう、太宰文学。

太宰治が入水自殺された場所。前に来たことあるなあここ。と思ったらジブリ美術館のすぐ近くでした。何年か前にジブリ美術館のカフェで風の谷ビールをめっちゃ飲んで、テーブルに大量の空き瓶を転がした楽しい思い出がよみがえりました。

そして以前と変わらない、白くてすべすべ、やさしくて、面白くて、マシンガントークなMちゃん。なつかしい昔のお話。あったかい気持ち。ありがとうね。また会いましょう。

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