すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

G線上のアリア

G(がん)を生み出す原因に、3G「頑張りすぎ・我慢しすぎ・頑固」というのがあるらしい。わたしたち患者はピーンと細く張り切って、弓をあてればギギーッとメロディを奏でるG線上に立っているんだと思う。(我ながらうまい表現を考えついたよ、美しいなぁ)

 

土曜、患者さんのセミナー&ワークショップに行ってきました。またまた「がん患者のこころの在り方」系。Facebookに告知が出ていて、ふと気になって発作的に参加してみました。参加者は12名、1名のみ男性で他は女性ばかり。講師の方がその筋では著名な方らしく、わたし以外はファンクラブ風。自己紹介によると、どなたもめちゃめちゃ細い命のG線をギリギリに張り切ったような、ステージの進んだ患者さんたちでした。でもそれは強く固い線で、奏でる調べはとにかく凄い、音量も曲も凄いヘビーメタルで風圧に圧倒される。

つまり、みなさまめちゃめちゃよく喋る。語りがすごい。元気。タフ。明るい。話が長い。多少の強がり風味があっても、やりきってる感がありました。あまりにパワフルすぎて頭痛と目眩がおこりましたが、いい刺激をたくさんもらったと思います。女子は強いね。わたしもきっとね。

セミナーの内容はとても良かった。いままで知り、学び、考えてきたこと、最近おぼろげに整い始めている自分の生き方のスタイルを、明快に研ぎ澄ましてくれた気がする。「治療とこころとからだを一致させるためのノートをつくる」という内容。デスノートならぬライフノートだなー、などとまた上手いことをひとりごちて、ご満悦。うむ。苦しうない。余は満足じゃ。

 

わたしには、あのように人前で自分の思いを語れない。伝えられない。そのかわりにここでブログを書くのです。自分のやりかたでいいと思った。

セミナー出席の12名中、4名がすい臓がんでした。うち1名の方が5年半生存という、文字通りの生え抜きエース級。それだけで勇気がわいてくる。また出席者のお1人が熱心なクリスチャンで、明日はキリストの復活の日よ、あなたがたもわたしも復活するのよー!と仰っていて、美しい光を感じました。そんな今日のわたしのアリア。

 

お箸は、生と死の境界線

先週、ある講座を受講しました。その中に出てきた話題のひとつをわたしなりに考察してみました。お箸に見る、日本人の死生観について考えたことメモ。 

  

日本ではお箸は横置き。中国は縦置き。

(中国は洗濯ものも縦に干す。矛のように。向こう側を刺す文化)

ところで箸とは、端であり、橋である。

同音異義語ではなく、実は同音同義語である)

「はし」とは、彼岸と此岸を渡すもの。

 

「はし」は、端である。「隅っこ」や「果て」である。

「はし」は、橋である。町外れにつくられ、あちら側とこちら側を結ぶ。

「はし」は、箸である。置かれて生と死を分かち、使われて死を生に変換する。

 

日本人は食事の際、お箸を横に置く。

このお箸が、あの世とこの世の境界線をつくっている。

お箸の手前は生の世界で、今、生きているわたくしがそこにいる。

お箸の向こう側は死の世界で、既に死んだものがそこにある。

箸で分かたれた2つの世界。

 お米も野菜も肉も魚も、食卓に上がる前は生きていた。

死の穢れ、命を奪った罪悪感、悲しみや恐れなどを遠ざけている。

 

手を合わせて「いただきます」と言い、

箸を手にした瞬間、境界は消えて、箸は生と死を結ぶ橋となる。

死は体内へと運ばれ生を生み出す元となる。

 

面白いわ。深いわ。考えながら、

頭の中でアニメ「トリコ」の主題歌が響き渡るのです。

カラオケでよく歌っていました。

 

♪どんな食材ひとつにも宿る命は輝くファイヤー!

♪感謝込めて、イタダキマス!

 

串田アキラさんの歌は熱くて大好きです。

筋肉マン、アバレンジャー、トリコが、わたしの世界三大串田ソングです。ああカラオケ行きたい。絶叫したい。

話がそれました。

 

何が美味しいとか不味いとかのお話ではなくて、

食材や調理法はもとより、お箸や器、食べ方にも民族的な思想や文化があるっていうのがとても面白い。お箸を横に置いて生と死を分かつラインをつくる日本人。そこには潔癖さ、畏敬、感謝、いろんなものがあって、ホントに日本人くさいわ。笑

日本のお箸にはこうした生死の哲学が籠もっていて、シンプルに実用化されていて、無意識化された儀式になっていて、それが何百年も定着しているなんて、なんと洗練されているのだろうか。美しい所作で箸を持ち、食事しなければ!と改めて思いました。

 

中国では長いお箸を縦に。それは食事の動線をスムーズにしたもので、テーブルの遠くの料理もとれるように、らしい。たぶん。知らんけど。これはこれで合理的で無駄がない。(他にも意味があるかもしれないけど)

 

じゃあ、アジアの思想や哲学の源泉であるインドではどうなんや?と思い至る。お箸使わないよね。スプーンもないよね。手で食べるよね。一見、野蛮で未開。インドともあろうお国がなんでまた?と不思議になりつつ。しかし生死の観点から見ると、橋も箸も不要というか、そんなものやコリクツは、聖なる食事におけるノイズでしかないのかもと思ったりもする。インドでは太古の昔から、生と死は分かつものではなく常に一体である、などと考えていそうな気もしてくる。これもぜんぶ勝手な憶測。

 

ポエム

儚きものや滅びゆくものに想いを寄せて

ある種の恍惚感とともに愛でるのは

美しいなあ日本人の美意識だなぁと思います。

やさしくも甘やかに、そちらのほうへと心をひきつけられていき、

そして気づかぬうちに意識の底へガツンと黒い杭を打たれてしまう。

後は、そっちのほうへとそっちのほうへとオートマチックに

こころもからだも働いてしまう。

と、わたしは思っている。※個人の感想です。

 

影には、しびれるような中毒性のある美しさがあるのも事実。

好奇心やスケベ心で、無邪気に闇を嗜んでいた。

ミイラ取りって、カッコイイ職業だなぁとか思ったこともあった。

 

でもいまは、落ち込むような本は読まないように。

悲惨な結末の映画は見ないようにしているのです。

引っ張られるから。

悲しみや苦しみは、健康で幸福なひとたちの玩具で

今は、わたしたちのものじゃないと思う。

 

光あるところに影がある。くさい物に蓋をするな。

それは正しくそうなんだけども、

ただ真正面にきまじめに立っていても、

打たれた杭はいっそう深く刺さって抜けなくなりそう。

だったら今は、スタジオカメラマンがやるように

あっちこっちあらゆる角度から

照明をあてれば影は消える。技巧を使えばいい。

そして、光あるうちに光の中を歩め。

そんな、今日のポエム。

幸せの総量を上げる(1年目の心境)

去年の2月22日、検査の結果「やっぱりすい臓癌ですね手術しましょう」と告知されました。それから1年がたちました。手術をして、抗がん剤をして、仕事をやめて、オロオロしながらジタバタしながら、恐怖と孤独のあまり脳みそをぼんやりさせながら、気がついたら1年です。

 

仕事っぷりも人柄も大好きだった仕事関係のがんサバイバーの方々から、「病気になっても病人になってはいけないんだよ」「誰かを育てるの。そして自分を育てるのよ」「治るも治らないも結局は運。それが命。つまりがんは運命でどうしようもない。だから自分の好きに生きればいいの」などなど、大切な言葉をいただきました。それを忘れることなく1年目。

 

半年ほど前、家庭倫理の会の偉い人に無料で相談できるという機会をいただき、不安でいっぱいの気持ちを語ってみたら「で、アナタどうしたいの?」と問われ。「・・・死にたくないです」と答えたら、「なんで死にたくないの?」「なんで生きたいの?」と返されて絶句。生きたい理由を答えられない自分を知り、この問いを忘れることなく自問自答し続けて1年目。

 

最近、「人は(わたしは)なんで生きているのか。そう、幸福を体験し実感するために生きてるんだね!」という、自分なりの答えをヒネリ出して、ようやく納得して、ちょっと落ち着いてきた気がします。

 

先のことはわからないのです。すい臓がんの生存率の低さとか、もし再発したら2年くらいかなぁ〜?と言う主治医の言葉とかが、いつもチキンでちっぽけなわたしの心を乱しにくるけれど、ガクガクブルブルしながらの2年(仮)と、脳みそホカホカの幸せを感じながらの2年(仮)だったら、同じ2年でも後者が断然お得じゃないか。たとえ残り時間が10年だろうが20年だろうが、ガクブルばかりで生きる歳月はしんどい。

 

人の幸せって何だろう?子どもの頃からよく考えてきました。自分の子どもの頃ってあんまり幸せじゃなかったなーと思っていた暗めの青春。なんかいろいろ悔しかったらしく、「幸福感なんてただの脳内物質の反応だっ。幸せを感じる脳汁が絶え間なく出るように、脳にプラグを差し込んで電流を流し続けたまま一生寝ていたら、それってきっと幸せな人生やで!」などとひねくれたことを本気で考えていました。ああ中二病。今思うと、小松左京の「果てしなき流れの果てに」と、ティプトリーの「接続された女」っていうSF小説の影響。あほや。笑。

大人になってからは、ひとりの人間の一生分の幸せの総量はみんな同じ、誰でも同じという人類皆平等で平和なコリクツを発案し、一人納得してきました。たとえば赤ちゃんが生まれたときの幸せはどんな大金持ちでも貧乏人でも同じようにうれしくて感動する。大富豪と世界の珍味、貧乏人と吉牛も、「美味い!」の感動はそんなに変わらないと思うんです。

たとえ残り時間が短いとしても、いまこのわたしの存在のまま(ダメ人間であろうとも)に幸せの総量と密度を上げていけば、我が人生に悔いなしではないのか?なんて最近思うようになりました。じゃなくて、無理矢理でもそう思うように自分を調教しました。そう思わないと、怖くて悲しくて耐えられないから。

このように人生と幸せを考える中で、気持ちよく答え合わせができた映画が、「コンタクト」と「メッセージ」。この2本。たぶん、わたしにとって間違いない。いまだにSFから影響を受けてる。やっぱりあほや。笑。

 

そんなこんなで、「すい臓がんから、ゼッタイ生きのこるぜ!」という強い意志(もちろん今もそれはあるけど)を全面に押し出して自分を鼓舞するのは、もうやめようと思う1年目です。

ブログのタイトルも、もう必死感は不要ですよと自分をなだめたいので、変更することにしました。もともとここはつづりかたを忘れないための練習場だし、自分のこころの吐き溜め的なものだし、そもそも闘病ブログではないし(闘う気は最初からない)。「がん」とタイトルに入ってるのもアレなのでもう変えちゃえ。

新タイトルは映画「メッセージ」の主人公の台詞をもらいました。大好きな台詞。座右の銘。掛け軸にして床の間に飾っているよ(こころの中の四畳半)。テッド・チャンの原作小説「あなたの人生の物語」は、私の人生の宝物のような本。

 

しばらくブログを書かないでいたけれど、この数ヶ月いろんな出来事があり、楽しいことうれしいこと面白いこと、とても悲しいことや怖いこともたくさんありました。脳みそを芋のようにホカホカとふかしながらも、ガクブルは消えない。そんな日々をこれからも書けるといいな。どんな思いも出来ごとも、書かないとどんどん砂のようにこぼれていくし。

そんな1年目。ヨシ、今日はこのへんでかんべんしといたる>自分

 

 

新しい年

明けて2019年、元気なわたしでございます。

年末から漢方薬マイクロ波なども始めました。

「これはどう考えても100%ナシやろ?」「かえって心身に悪そうじゃ!」

ということ以外、とりあえずはなんでもやっちゃう系で

今年もあれこれ楽しくトライしてみますよ。

 

おもえば昨日は母方祖父の命日。もう20年以上前ですが、

祖父はお正月の終わりにお餅をのどに詰めて天に召されました。

高齢だったこともあり家族親族みんなで明るく見送りました。

大好物だった餅で死ねるなんて幸せ者だ。

ギャグみたいな亡くなり方で気が利いている。

お正月はニコニコのんびり過ごせてよかった。

寝たきりにもならず、家族に迷惑をかけず、見事な旅立ちである。

などなど絶賛されたおじいちゃん・・・・

わがままに気ままに生きての大往生でありました。

 

おじいちゃんの家業は代々西陣織りだったし、

家族も親族もみんな西陣織り職人だったのに、

おじいちゃんだけ「わしは織るのは嫌じゃー!」とわがまま言って

若い頃は清水焼の絵付け職人をしていたらしい。

いまも、実家にはおじいちゃんが絵付けした湯飲み茶碗が

数客だけ残っていて草の絵が描いてある。

それが全然上手じゃなくて、へなちょこの絵付けなのが微笑ましい。

 

織物だって焼き物だって、忍耐と根性の職人ワールドには違いない。

そういうコツコツ地味な作業と、頑固で閉鎖的な雰囲気が嫌で、

わたしも、従兄弟たちも、親戚の誰一人として西陣織りを継ぎませんでした。

かくして父方、母方、昔は双方とも織物職人だらけであった親族は

時とともに廃業し、今はもう一人として職人はいなくなりました。

子どもの頃、町中のあちこちから聞こえた機織りの音も

もうずいぶん前に途絶えたことだなあ。

 

金糸銀糸で織りなされる、絢爛豪華な西陣帯を見て育った。

「工賃は1万円、そやけど呉服屋さんでは100万円の帯やで」

「演歌歌手が紅白歌合戦で締める帯やで。40代やのに振り袖を着やはるんやで」

と自慢げだった父(彼も職人)ももうおらず。

思い出すままに、年の初めに昔のことを書いてみました。

過去の話はこれくらいにしとく。

 

わたしは常に、いまここから。

すべての瞬間を大切にしようと思う、その思いを忘れないようにしよう。

それが今年の目標です。

 

 

 

患者3人、漫才トリオ

メリークリスマス。

 昨日は、「すい臓がん患者と家族の集い」に参加させていただきました。自分の病状とさまざまな治療法に向き合う方々の生の声は、本やネットで読むものとは違い、体温とリアリティに満ちていて、いつもさまざまな可能性の光を感じることができます。お元気にサバイブする先輩方の背中も頼もしいです。かっこいいです。ありがたや。また、会場の皆さんは患者とは思えないほど明るくてニコニコで、改めて「集いに集うぞー!」という行動と意思が大事なんだなと思わされます。ただ恐れ嘆いていても何も変わらんよねと、自分に言い聞かせる機会でもあり。スタッフのみなさま、集いで出会い、日常からLINEで仲良くしていただいている方々。感謝しています。

二次会がありました。20人くらいのその席で、LINEのおしゃべり仲間ですい臓がん患者としては若手(!?)のYさんとTさん、わたしの3人で漫才をやりました。今年2月、すい臓がん告知されてから10ヶ月。思えば、自分も誰かも笑わしてこなかったので、自分が笑いたかったし、誰かに笑って欲しかった。わたしを笑って欲しかった。

前日の夜にがーっと台本を書いて、リハなしで、勢いで、台本棒読みで、恥知らずに、ぐだぐだに漫才。聞いてくださった方々、ごめんねありがとう。TさんとYさんがめっちゃ愉快でいい人で幸せ。よかったねわたし。集いに来なかった誰かや、二次会に来なかった誰かや、同じ病でへこんでる誰かにも笑って欲しいわー。つーわけで、漫才の台本をここに置いておきます。

  

2018/12/23二次会トリオ漫才

  

♪出囃子

 Tくん   みなさんこんにちわー

あきこ   こんにちわー

Yちゃん  こんにちわー

 

あきこ   あきこでーす!

Yちゃん  Y子でーす!

Tくん   Tくんでーす!

 

あきこ   患者3人そろって・・・

3人    キャンディーズでーす!!

Tくん        ・・・・なんでやねん!

あきこ        キャンサーとキャンディーをかけてるんですよ

Tくん   そうですね。おもしろくなくても笑ってくださいね

               免疫上がりますから!

Yちゃん  台本棒読みですけどね      免疫あがりますから

あきこ   ハイそこ!笑って!  免疫あがりますから

 

あきこ   ではいきますよ。じゃじゃーん!抗がん剤でー

Tくん   早口ことばー!

      いま自分がやっているのを3回言ってください

      では、僕から。

      ゲムシタビン・ナブパクリタキセル

      ゲムシタビン・ナブパクリタキセル

      ゲムシタビン・ナブパクリタキセル

      舌噛んじゃうねー!

Yちゃん     次、わたし。

      フォルフィリノックスのイリノテカン抜き!

      フォルフィリノックスのイリノテカン抜き!

      フォルフィリノックスのイリノテカン抜き!

あきこ        ・・・なんかすごいね

Tくん   イリノテカン抜きですかぁ

Yちゃん    ラーメンの麵抜きみたいな! あきこさんは?

あきこ        S-1、S-1、S-1

Yちゃん   短っ!

 

あきこ  すいません。そしたらYちゃん、S-1って10回言ってみて?

Yちゃん  エスワンエスワン・・・(指を折りながら×10)

あきこ  はい、じゃここは?(Tくんの腕をとり、肘を指さしながら)

Yちゃん  ピザ!

Tくん       なんでだよー。もうピザ食べたくなったよ!マルゲリータ

 

Yちゃん  そういえばこの前、うちの息子がヘアーサロンでね・・・

あきこ  はいはい

Yちゃん   隣のお客さんが、比較的禿げているおじさんでね・・・

Tくん        比較的に、禿げてるんですか?

Yちゃん  そう比較的に。それで美容師さんが

      「今日はどうないさいますか?」って聞いたら、

      なんとその禿げ、「ボブで!」

あきこ        ええーっ。ボブ?

      男性の方、わかりますか?ボブって、おかっぱですよ。

      でもその人、ないやん!髪の毛!

Tくん        さてはそういう自虐ネタで美容師さんを笑わそうと・・・

Yちゃん  いや、それが真顔なんだって!大まじめにボブって。

      美容師さんも真顔で「かしこまりました」って!

あきこ・Tくん      ええー!!!???

Yちゃん       もうほんとドキドキするよね。どうすんのよコレって!

      変な汗出るよね。でもそれ、よく聞いてみると

      ボブじゃなくて「五部」だったの。

あきこ   あー五部刈り。ボブと五部の聞き間違え。

Tくん   あーよかった、空耳で。

Yちゃん       あーよかった。ホント。見てみたいけどね、禿げのボブ。

あきこ        聞き間違えもあるけど、言い間違いってのもありますね。

Tくん   うん、あるある。

Yちゃん  うちの息子、子どもの頃「まぶしい」って言えなかったの。

      光を見て「まぶしい」って言うところを言い間違えて・・・

      貧しい、っていうの。

Tくん        まぶしいとまずしい、一文字違いだね

Yちゃん  うん。夏の日にね、太陽が凄い輝いてキラキラしていたのね。

      息子が上を見上げながら目を細めてポツリと言うの

      「・・・・母ちゃん、貧しいよ」(爆笑)

Tくん   ほんと言葉って一文字違うだけで、

      意味も印象も大きく変わりますね。

あきこ   変わりますね。

      この前、ネットでひらったネタですけど・・・

Yちゃん  え、なになに?

あきこ   がんを、一文字変えて「ぽん」と呼ぶ。

      それだけで、全然オッケーになるんですよ!

Tくん   なんですかそれ?

Yちゃん  やってみましょうか!

 

あきこ   わたしたちがん患者。じゃなくて「ぽん患者!」

Tくん   ぼくたちすい臓がん、じゃなくて「すい臓ぽん」

Yちゃん  なにこれ笑える!

      胃ぽん、大腸ぽん、乳ぽん、前立腺ぽん・・・・

あきこ   ええやんええやん!(笑)全然怖くないし

Tくん   抗がん剤、じゃなくて「抗ぽん剤」

あきこ   なんかおいしそう

Yちゃん  有明の〜、国立ぽん研究センター!

あきこ   何を研究しとるねん

Yちゃん  友だちのお見舞いに行ったよ、ぽん病棟!

Tくん   毎年受けよう、ぽん健診!

あきこ   そうそう、私もねえ

      ぽん健診ですい臓ぽんが見つかって、ぽん細胞ありますって。

      えーショック、まさかぽんになるなんて。

      それでぽん外来でぽんの専門医に

      ぽんの切除手術してもらったんだけど

      あーこの先ぽん治療どうしようーって泣きそうなときにね、

      出会ったんですよ!

Yちゃん        わたしもです。

Tくん   ぼくもです。出会えてよかった!

      ・・・いちにのさん、はい、

3人         「すい臓ぽん患者と家族の集い」

 

3人   ありがとうございました。

 

 

 

前半のネタはYさんのアイデアと実話から。楽しいねぇ。

Yさん:ステージⅣbだって明るくてやさしくてオモロイ女子(はぁと)

Tさん:自分の人生観に従い、QOL重視であえて手術しなかった愛と信念の漢。

わたし:不謹慎ですいません

 

楽しかった。2018年クリスマスの思い出ありがとう。

CT結果、手術から9ヶ月

11月末、術後2回目となるCT検査をおこない、震えるぞチキンハート、いのち尽きるまでヒート、刻むぜ寿命のビート、、、な感じの1週間を過ごし、12月7日に結果をうかがいに外来診療。

血液検査は毎月おこなっていましたが、わたしはルイス陰性という血液タイプらしく、腫瘍マーカーがまったく反応しませんので、がんのご様子伺いは年4回のCTに頼るしかない。結果、再発・転移の兆候はないとのことで、全身脱力、まずは佳し。これで佳し。

ただここ2ヶ月ほど、血液検査での肝臓の数値がかなり悪く、ALTとASTは今回高値を更新。脂肪肝か肝硬変かという数字。同じく前回高値だったALPとLDHは正常圏内に復帰しましたので佳しとする。

主治医の解説。過去の数値を見ていると「抗がん剤の影響ではなさそうに思う。栄養状態かも。何かが足りないか、何かが過剰なのかわからない。要はバランス」。心当たりはある。10月頃からフルーツを結構な頻度で食べるようになりました。発病以前から甘いものを食べる習慣はなかったのに、10月頃からリンゴやみかん、バナナ、ベリーなど「がんにいいらしいぜ!」を口実に、でも実際はお酒やたばこのない人生の穴埋めに、そして甘い果実がくれるひとときの安らぎと癒しに、文字通り甘えてしまっていたのです。今後ちょっと果物を控えて、様子を見ようと思います。元気になってまた会おうねぇ、フルーツたち。

 

今は自分も心配だけど、長年つれそってきた愛する猫さんのことが心配です。水もごはんも拒絶し、ニャーとも言わず、少し動くたびに息を荒げ、ただうずくまったまま1週間以上になります。もう首を上げるのもしんどそうで、あごを床に置いたままぼんやり中空を見ています。もともと野良出身のせいか常に食い意地がはっていたのに、大好物も食べなくなってしまった。時折、口元に運んだペースト状のえさを少し舐めてくれる。時折、シリンジで口の中に水を10cc入れる。お気に入りの場所で安心して、苦しむことなく、穏やかに過ごして欲しい。いまはそれだけ。いまも顔はめちゃかわいい。