すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

「いつか」とは、いつなのか?

 

春が来て夏が来て秋が来て冬が来て、また春が来るように

この先も、それがずっと続くと思っていました。

そうでもないよ命は有限だよと

どうやら頭は知っているらしいけど、

この続いていく感はとりあえず、いつかその日までずっと続くのだろう。

その「いつか」とは、いつなのか。

「今この瞬間」の連続に生きているわたしたちにとって、

きっと「いつか」は違う時間軸・空間軸にある。

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ところが、やっぱりそうでもないことを、

いまわたしの心が知りつつある。

 

「いつか」とは、いつなのか?

この疾患を持ってしまった人(わたし)にとって、

予測できるものになってしまった。

五年生存率とか余命とか、わかりやすい呼び名もついている。

それが残念だし、もったいないような、さみしいような

どうしようもなくやるせない気持ちがわき起こってくる。

でも、それを惜しむこと自体に不吉さを感じてしまい、

頭を振って押し戻す。

 

 

昨日今日と陽気がいいから、術後の体力をもとに戻すべく

うろうろ、のろのろ、界隈を歩きまわりました。

いま、春はこの世界のどこにでも満ちていて、

青い空、心地よい空気、あたたかな日差し、生命の息吹き、

みんなニコニコ、ピースフル、風に桜の花びら、

もう胸いっぱいになるのです。

 

散歩の途中で足も目もすぐに止まってしまいます。

公園の花壇でホバリングしていた蜂の目が、

意外なほど大きくて丸くて黒くてツヤツヤという発見や、

蜂がホバリングをやめると瞬間移動のように消える(飛び去る)ことや、

うつむいて咲くカタクリの花は、きっと種を確実に落とすために

地面だけをじっと見ているんじゃないかという気づきや。

もう、この世界がいちいち美しすぎて、

わたしはずっとずっと見ていたくなるのです。

 

「いつか」は、いつなのか?

もはや世界があまりにも美しいので、

それは近々であるとは到底思えないのです。

だからわたしは、まるで健康な頃に戻ったようなふりをして、

お腹の痛みに気をとめないようにしながら

もっともっと歩きまわる。どこまでも歩いていってしまう。

 

 

そのうち、こんな考えにとらわれずに

ただ歩くことだけを目的に、歩けるようになる気もするのです。

 

今のわたしには、

自分が弱気なのか強気なのか平常心なのかもわからず、

でもこのピースフルで完璧な世界の中に、

この先もずっと存在し続けることだけを願っているのです。

 

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というわけで、今日の気持ちを書いてみました。

あいかわらずくどいなわたし。

(この気持ちを文章で表現するのは本当に難しいです)

 だけどなんか、いけそうな気がする!

うんうん。