すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

京都〜がん封じのお寺など

〇一人暮らしの母

木曜日、京都の実家へ。母の顔を見て、延々と母のおしゃべりを聞いて。実家で一人がんばってる母は、1秒たりとも止むことなく、何度も何度も同じ話を繰り返していました。先週は気温が39度だったけどエアコンで快適な話。生協で何を注文したか、今年の地蔵盆のために幾らお金を包んだかの話。そういう平和で平穏なお話ばかり。今年のお正月に会ったときから、わたしは15キロも痩せてしまっているけれど、母はそんなことにはまったく気がつかずに、生協のお米が1キロ幾らで5キロが幾らと話し続ける。それは、わたしが健康で元気に見えるから。よっしゃ。よっしゃ。やっぱり母には、病気のことは言えないこの先も。バレないためにも、母より長生きしなくちゃなと改めて気合いを入れる。

〇たとえ嵐がこようとも

夜は磔磔にライブを見に行きました。昔むかし、数え切れないほど通ったライブハウスの懐かしさに、遠い過去が押し寄せてくる。ここで今夜、高校時代の友、シンガーソングお坊さんが歌うと。高校時代に放課後の音楽室でギターを抱え、ふきのとうやオフコースなんかを歌っていた彼女は、大人になって仏門に入った後もずっと歌い続けてきたのでした。何十年ぶりかに聴いた友の歌は、10代の頃の儚い甘さをかすかに残しながらも、強くて深い凄みを持ったブルースを奏でるものに変わっていました。歌と仏さまを伴侶に彼女はここまで生きてきたんだろうな。少し前、偶然に青江三奈さんが歌う「My Way」を聴いて感動したけれど、歌がどれだけ人を生かすものなのかを改めて想像する。「たとえ嵐が来ようと、わたしには歌がある。孤独と愛の歌をわたしは歌おう」これは松崎しげるさんの「私の歌」。素晴らしい歌。帰り道、友の姿とともに、この2曲がずっと脳内パワープレイ。

〇深草の墓所

翌日は深草の市民霊園に立ち寄って、亡き父にご挨拶。自分のお墓を持たない慎ましき京都市民たちのための、無宗派の集合墓所です。わが家にはお寺に立派なお墓があるというのに、昨年、母はあえて父をここに納めました。あんなにおしゃべりな母なのに、なぜ市民墓地を選んだかは語らない。母には母の想いがあるのでしょう。JR稲荷駅から歩いてすぐ。お隣の伏見稲荷大社は世界中から訪れる観光客でもの凄い熱気と人ごみで異世界のよう。だけど、すぐ隣の霊園はひっそり静かで私以外は誰もいませんでした。京都市の南部を見下ろす丘の上、夏の光、夏の風、蝉の声、かんかん日照りに長いこと立って、汗だくになって父に病気の報告などをしてみたけれど、返事はありません。母と違って父は無口。

〇がん封じの社寺仏閣 

帰り際に、病気退散の神さまである五條天神社に。ビルの間の小さな無人の神社で蝉時雨に打たれてひっそり祈願。そして、そこからほど近い、薬師如来さまがいらっしゃる五条の因幡平等寺さんにお参りしました。京都で1000年、がん封じをしてきた由緒あるお寺です。まったく観光化されていませんが、千本通りの釘抜き地蔵さんと似た、人々の信仰の思いの深さを感じるたたずまい。この半年、わたしが出会ったすい臓がん患者さんたちのぶんも、手を合わせてまいりました。こころから手をあわせました。どうぞ御利益がありますように。お守りを買ったら、ご本尊の前に一度お供えして鈴をならしてから渡してくださった。有り難いことですよ。