すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

ほったらかし療法って

昨日、新しい本屋さん。神保町ブックセンターで待ち合わせ。岩波ホールのお隣、岩波書店の本屋さんは座り読みOKのカフェと一体化した素敵な空間で、当然ですが岩波書店の本しか売っていません。どんな本やさんよりも、科学ライブラリーの本が沢山(当然)で夢中で立ち読みしてしまいました。どれも面白そう。

それにしても雑誌やマンガやMOOK本のない本やさんの清々しさ、いいなぁ。駅ビルの有隣堂も便利ですが、全然違う雰囲気。神保町いいなあ。自分がちょっと賢い人になったような気分が味わえました。そして、「当店今週のベスト10」棚から5位と10位の本を購入。5位はアニメ監督高畑勲さんの岩波ブックレット。10位は「作家がガンになって試みたこと」高橋三千綱

 

そして今日、「作家がガンになって試みたこと」読了。かなり役立つ。かなり面白い。この方、糖尿病、肝硬変、胃がん持ちでどれも深刻。肝硬変と癌については現在、ほぼ無治療でお元気。胃がんは放置→退縮した模様です。本の内容は、作家の野放図な生活の中でカラダに何が起こり、どんな医師に出会い、死を宣告されながらも何を考え、何をしてきたか、そして今何をしているかが実体験として、作家さんの面白い筆致でまとめてあり、読み応え抜群でした。

奥付を見ると初版は今年6月まだ新刊。だから内容はほぼ最新。わたしにとって圧巻だったのは、いくつかの自費治療を受診したくだり。幹細胞療法、樹状細胞免疫療法など、その理論から作者の体験談までが面白くわかりやすく書かれていて、いままで難しくて「???」だった理論的なことも理解できました。作家さんの文章力って本当にすごいなあ。

他にも、がん患者なら一度は検討したことがある療法がぞくぞく。iPS細胞にかける期待や光免疫療法、温熱療法、果てはお祓いにまで言及あり。三千綱さんは、がんもどきの近藤先生のシンパのようですが、そこの賛否は脇に置いておいても、今までわたしが読んできたがん関連本の中では読んでよかったと思える一冊でした。そして、作者が今も生存している理由。最終章にでてくる「ほったらかし療法」はかなり共感できるもの、というか、わたしの考え方ややり方に似ていることも多々あり、読んで勇気と希望がわきました。三千綱さんほどおおらかでも楽天的でもなく、標準治療もきっちり受けるし医者を信頼し尊敬もしているわたしですが、なんだか陽気で明るい気持ちになれる、うれしい読後感です。

 

 

 

 

 

半年

やせがまんばかりで

もう半年過ぎたが

何が変わったか誰を愛したか

頭の中でいま夢がくずれだした

なんとかなれ

 

という、古井戸の歌が頭の中でいま!

 

すい臓にがんが見つかって

検査して入院して手術して退院して、

半年が過ぎました。

 

いろいろあったし、やったし、考えたし、

あっという間だった気もします。

がんに関する本は50冊以上読んだ。

ネットの情報も根堀葉堀した。

いろんな人に会い、お話たくさん聞かせていただいた。

ところが何が変わったかと自問しても

そんなに変わっちゃいないのです。

心の底から変わろう変えたい変わらなくちゃと

必死だったけれど、

がんばればがんばるほど、

それって自発的に意図的にがんばるものなのか?

作為的な変化は、わたしが求める「変化」とは違うんじゃないか?

などとコリクツをこねて自分不信になる。

 

しかし誰を愛したかと振り返ってみると、

誰も彼も愛したと思えます。

目に映り肌を撫でていく日々の情景も、

瞬間の出来事や風にそよぐ猫の毛までも

こころから愛したと思います。

瞬間に神が宿る、一期一会、

行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。

もう二度と出会えないかもしれないという

立ち位置から見るこの世界は、愛すべきものだらけ。

きれいだわ。尊いわ。ほんとうに愛しいわ。

いまもこれからも。

 

猛暑の夏が終わり疲れが出たのか

体調に波があり、お腹の具合が整わない今日このごろ。

長引く術後の痛みの緩和目的で鎮痛剤を始めたら

まったりとして痛みを忘れることができるようになり、

がんのことも忘れて平和な時間も増えるけど、

その代償はおそろしい便秘や、不気味な白日夢を見ることなど。

白日夢はとくに怖い。

謎のモノグラムや茶碗の絵柄(なんでや)、

知らないおじさんの顔とかが見える。

いまは痛みと副作用とまったり感を天秤にかけ、

鎮痛剤を継続するかどうか悩ましい。

 

それから抗がん剤TS-1。

とにかく半年やりましょう、という方針で始めたけれど

いよいよ明日から最終クールが始まります。

と思ったけど、なんとこれが最終ではなかったのでした。

「半年で終わるかこの先も1年続けるか。

自分で決めてください」と先週、主治医が。

 

抗がん剤の副作用と費用がつらくないなら、続けていいです。

半年使用は再発予防のエビデンスがある。

しかし1年2年と続けることで

さらに再発率が下がるというデータはない。

各病院や各医師のレベルで取ったデータを見てきたが

わたしの知る限り半年以上の継続が優位なデータはなかった。」

 

なのに、なぜ「1年間続けるかい?」って聞くの?

 

「TS-1終了から1年後、2年後に再発した患者さんが

『あのとき継続しておけば・・・』と悔やむのを何度か見てきた。

わたしは患者さんに後悔して欲しくない。」

 

それが理由だそうです。

「だから自分で決めなさい、あなたの希望どおりにしますから。」

 

あああああああ。わかる。わかるよ。超わかる。

だけど、なんじゃそれー?だよ。だけど、わかるよ。

その後悔の気持ちが生々しいほどわかるよ。

鎮痛剤、抗がん剤

その他もろもろの「きのこる術」たちもみな同じ。

 

それで、もう少しあと少し考えることにしました。

そんな半年目です。

 

なんとかなれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「書く」こととがんの治癒

患者さんがその日の出来事や自分の気持ちを文章化して書き続けた結果、腎臓がんの症状が改善した(延命した)というレポートがある。と、早期緩和の先生がおっしゃっていました。記憶頼みのうろ覚えだし、腎臓がんだったかは聞き間違えかもしれず自信がありませんが、確かに、がん患者さんが書くことで改善するというのはある、と思った。誰かに読ませる読ませないは関係なく、秘密の日記帳でもブログでもいいそう。

一日一日をまとめ、文章化することで一度こころとカラダの外側に置き、客観視する、また俯瞰するのが、日々オタオタと震えながら彷徨い続ける精神を整理することになり、歩むべき道筋のブレを正し、それがこころの平穏や、ひいては覚悟につながるのではないかと思いました(※個人の感想です)だからやらないよりもやったほうがいいよね。なにはなくとも1日は始まり終わる。そしてまた始まるんだから。

ネットでたくさんの方々の闘病ブログを見るにつけ、ブログを書いている患者さんはみんな長く生き伸びていらっしゃる傾向があるように思っていました。それってわたしの生きて欲しいという願望や、応援したい気持ちのバイアスがかかって、そう見えるのかもしれないけど。だけど、何かを伝えよう残そう記録しておこうという気持ちは、イコール弱々しくたって奮い立とう歩いていこうとする気持ちなのだと思います。勇気をもらってる。

 

書くことを続けようと思いました。

 

 

術後の痛みについて<その2>

術後の痛みについて。緩和ケアクリニックで説明を受け、理解し、まずは現状 ベストな対処方法を知ったわたくしは、ひとつ安心を手に入れました。

その翌日いつもの鍼灸院で、若先生にこのことを報告しました。そして、鎮痛剤を長期にわたって使い続ける不安と、薬を使わず自然にまかせて痛みに耐えながら(QOL低めで)日々を生きていくことを天秤にかけていることを話し、やっぱり薬は使いたくないけれど使うしかないのかなあという迷いも聞いてもらいました。鍼灸の若先生は痛みを和らげるツボにお灸をすえながら、お腹まわりを触診し、「確かに左側だけ筋肉が盛り上がってます。外腹斜筋です」とおっしゃるのです。

外腹斜筋とは肋骨で守られていない腹部を守る筋肉、おそらく術後の痛みを受けて勝手に発達してしまったのではないかと先生は言いました。わたしのカラダは無意識のうちに痛むお腹を守るため、左脇腹に鎧をつくってくれたんだ。カラダってけなげだ。

筋トレの人たちは鍛えたい場所を“意識”しながらトレーニングするといいます。そうすることで理想の筋肉をつくっていくのだけれど、痛みという意識もまた、筋肉を変えていくことがあるんだなと思いました。意識の力ってすごい。

それでいえば、進撃の巨人の「鎧の巨人(ライナー)」って全身の表面が鎧に覆われている。鎧のような筋肉。つまり鎧の巨人は、全身の内側に強く激しい痛みがあるため、体表が鎧のように硬質化したという設定はどうよ?なんて思ったり。いや違う、ライナーの場合は肉体の痛みではなくこころの痛みだな。全身を満たす、もの凄いこころの痛み。あんなに全身が硬質化するなんて、それは想像を絶する痛みだよねライナー・・・などと、話を大きくしてみる。それほどにカラダはすごい。それほどに、こころもすごい。漫画ネタだけど。しかもわたしの勝手なヨタ話だけど。

で、鍼灸の先生いわく。神経の誤作動ルートについては、手術後に限らず発現することがあるとのこと。長期的で慢性的な肩こりや腰痛を訴える患者さんの中に、実は原因が完治している人がいるそうです。それは痛みやコリに苦しんだ過去の記憶が、脳への強力な神経伝達回路をつくりあげてしまい、常時開放状態にしてしまっているからだそう。だからいつまでたっても痛みやコリを感じ続け、一生鍼灸や整体に通い続ける。なるほど。

おっ?待てよ。いいこと考えた!それってもしかしたらイメージの力でなんとかなるんじゃない?と、お灸の熱を感じながら活路を見いだすわたし。このアイデアは、鎮痛剤を服用する以外にできることとして、「痛みが消えることを“願い”ながら生きていく」という緩和ケア医師の言葉とも繋がる。思いによって、気合いによって、イメージの力で、痛みの伝達回路を消滅あるいは無効化することができるんじゃないか?「この先、通行止め」「工事中」とカラダに言い聞かせる。

いや待て、もっといい方法を考えた。道路工事はたいへんそうなので、てっとりばやく交通ルールを変えるというのはどうか。「痛い」という意識が誤った道をつくってしまったなら、逆にその道を利用してしまうんだ。そこに「痛い」ではなく「気持ちええ!」という意識を流せばよいのではないか。間違い回路に偽情報を流すという、頭脳バトル的な展開が熱いではないか。マンガっぽいではないか。おもしろそうなのでやってみようと思います。脳で脳をだますんだ。やだかっこいい。

そういえば手術直後のICUで、あまりの痛さに耐えかね、「痛み」を「うまみ」に言い換えることで苦痛を幸福感に変える実験をやったことを思い出しました。アレは失敗だった。痛みが襲ってくるたび、口に出して「あーうまい!超うますぎ!」とか言うたびに、めちゃめちゃ笑えてしまい、傷口に響いて余計にうまみ(痛み)が増すという悲惨なものでした。アホでした。

おそらく、「ああ気持ちいいなぁ〜」程度なら爆笑はしない。ほのぼのマイルド。ただしこれが上手くいくと、いつわりの気持ちよさを覚えてしまった伝達回路が、気持ちよさを求めてますます太く強くなるかもしれないという諸刃の剣。

 

などと書きながら、自分がどこまで本気なのかよくわからなくなってきました。まぁ、本当のところはやけくそ気味のネタなんだけど。ああこれが最初から、がんも痛みも全部ネタだったらよかったのにネ。でも楽しいなあヨタ話って。これ思考実験だから、って言うとかっこいい感じ。

術後の痛みについて<その1>

手術から半年たつというのに、実は左脇腹がちくちくシクシク痛いのです。常時ではないけど、痛み出すと数時間。それが1日に何度も。主治医は、「もう術後の傷は外側も内側も治癒してる」といいますが、左脇腹の奥からわき出すような痛みは、半年後の今もずっと退院した頃と同じテンションと頻度でシクシクうずき続けています。切り傷や骨折、青たんなど外傷ならば時とともに少しずつ痛みが軽減し、半年もたたずに消えていくのが常なのになぁ。なんだか不安。

「ガンによる痛みなら、24時間ずっと続きます。でもあなたのは断続的。だから心配ない。あなたの手術時には、お腹の神経叢を大きく郭清しました。このため神経が誤作動をおこし、術後の傷はもう治っているのに脳に痛みの信号を送っていると思われます。」外来時にたびたび痛みを伝えるわたしに対し、主治医の説明は以上のようなものでした。うーん。よくわからない。イメージできない。腑に落ちない。

今まで出会ったすい臓がんで手術した方たちに、「脇腹の痛みはどれくらい続いた?半年後もあった?」と毎回聞いていたけれど、どの方も「そんなに痛みは続かなかったなー」という答え。うーん・・・

そんな折、先日のCTで、手術後の患部ステープル(すい臓を切った後の傷はテープで貼ってあるらしいぞ!)沿いに膵液漏れの嚢胞があるのがわかりました。わたしは「膵液って消化液だし・・・漏れた汁がお腹の中をジワジワと溶かしてるせいで痛いんじゃないの?」という妄想にとりつかれてしまい、怖くて痛くてマイ リトル チキンハートを持てあましておりました。

主治医も「痛いなら、痛み止め出しますけど」の一点張りで、根本的に痛みの原因を取り除きたいというわたしの希望とは違うものだし。

そんな折り、違う答え、違う対策を知りたいわたしは、8月に開院されたばかりという「早期緩和ケアクリニック」という新機軸なクリニックの存在を知りました。新機軸だけあって自費診療。腹も痛いが財布も痛い。でもこのまま漏れた汁に内臓をじわじわ溶かされ続けるのは忍びないです(妄想)。

一般にいう緩和ケアはわたしの病期や状態からはまだ早いのですが、そうじゃなくて「早期緩和」。その意味や考え方を知るにつけ、クリニックがわたしに「おいでよ!」と言っている気がしたのです。それで先週、行ってきました。

予約時に相談ごとをメールで送っていたので、初診時、診察室に入るなり院長先生は速攻で回答と詳細説明をくださいました。医学専門書の、同じ事例のコピーもくださいました。

 

「遷遠性術後痛」せんえんせいじゅつごつう

 

術後の痛みが3ヶ月以上続き慢性化したもので、手術後2〜10%の人にあらわれる症状、とのこと。原因は複合的でひとつではないため根本的な改善は困難。若者、女性、不安傾向の強い人に多く出る症状らしい。なんかメンタル弱いやつ認定されたみたいでトホホなんだけど。そして、手術後早期に強い痛みがあった人にも出やすい症状だそう。まさにわたしのこと。手術後、鎮痛剤があんまり効かなくて、絶叫悶絶の日々を送っていた入院生活を思い出しました。痛みの原因は神経の誤作動。手術によって脳に信号を送るルートが変わり( or 新たに生まれ)、痛みの原因がないのに「痛い」という信号が送られ続ける症状とのこと。ちなみに痛みの原因は、汁漏れではまったくない。汁が漏れていても、袋(嚢胞)の中に溜まってるだけだから、周囲を溶かすわけなんてないですよ?と。「えっ。袋に入ってるんですか。その袋って何で出来ているのですか?」「何って、、、皮みたいなものです」「ええっ、皮って!?」「臓器の表面を覆っている組織がふくらんで、伸びて袋状に。その中に膵液が溜まっているのです」という説明。わかりやすい。まずは安心。痛いけど安心。そして妄想終了。

結局、主治医の説明は正しく、わたしの理解力が浅かったわけです。先生ごめんなさい。でも主治医の説明は、不安を煽りこそすれ安心をくれるものではなかったのは事実です。今回、このクリニック院長のような丁寧でわかりやすい説明を主治医からいただければ、どんなに安心できたことでしょうか。と、言ってもしょうがないですね。説明トークの上手・下手は個人差があります。緩和ケアの専門医、やはり餅は餅屋。まずはこころが緩和されたぜ。涙。感謝。

対処法としては、やはり鎮痛剤を使用することだそうです。「傷みを感じる→その都度自分ががんであることを自覚する→不安になってヘタレる。→こころに余裕がなくなり他のことが手につかない。→暗い未来を想像してさらにヘタレる。」これがよくない、QOLが下がると理解しました。

痛み信号の伝達ルートができあがり、6ヶ月も続いていることから、この先、症状が一生続く可能性は高いでしょう、とのこと。QOLを保つためにもやはり薬を上手に使っていくのが吉で、上手にコントロールするうちに、中には痛みそのものが低減する人もいるとのことでした。

 一生か・・・orz。鎮痛剤以外にできることは?の質問には「痛みそのものが消えることを“願う”ことですねー」だってさ。

痛いの痛いの飛んでけー。願うって、こうですか?

 

長くなったので続きはまた明日 

 

 

 

仲間

8月25日 先週の土曜日

「すい臓がんカフェ」に3回目の参加をさせていただきました。

終了間際に、前回のカフェでお声をかけてくださったyさんが、会場で出会ったという患者さんお二人とともに、またお声をかけてくださり、その方々とその日作ったというLINEのグループにわたしも混ぜてくれました。とても嬉しい。

仲間ができたよ。涙。yさんありがとう。

 

今回、患者さんの講演はありませんでしたが、主催者の方、ゲストの方の簡単なスピーチがあり、よくわからないなりに「おおっ?」と耳振り立てられたことをメモしました。以下、健忘書き。

 

ゲストHさんのお話より

「がん治療を物理学的に考える。つまり理論に基づき、検証されたもの(治療?)が当たる」

 →医学ではなく物理学の考え方でがんを見る。わたしには難しいけど面白そう。この方に根掘り葉掘りインタビューしてみたい衝動にかられた。昔、科学者や研究者や技術者の人に取材するのが好きだったことを思い出した。

 

ゲストIさんのお話より

半導体ナノバブル技術を生かし、水のオゾンガスにより薬剤をナノバブルに閉じ込めてデリバリーする技術を開発中」

 →むむ難しい・・・新しい治療の可能性?

 

押川先生のお話

「治療と人生をわけて考えること。治療はがんを忘れるためにある。患者は日々、どうしてもがんのことを考えてしまうけれど、先に日々の生活や仕事やもろもろを考え、がんを考えるのはいちばん最後に。」

→そうなのよ。頭ではそうわかっていても、うだうだ考えてしまいます。わけられるほどの人生の豊かさって、果たして自分にあるのかな。もっと人生をつくらないとね!

 

ハマリョウさんのお話

「自分の状態がどうであるのかを知ることが大切。検査数値やデータが意味することを、自分でしっかり理解すること。」

「がん治療は統計学ではない。EBMエビデンスベースドメディシン)からSBM(サイエンスベースドメディシン)へ。と、和田洋巳先生がおっしゃっている」

→ホワイトボードに大書きされた、EBM SBM の文字。なんのこっちゃ!?もっと詳しく!!と思ったので調べた。そしたらこんな記事がヒットして、ちょっとだけ理解。

がん制圧の法則/最終回 元京大医学部教授が提言 標準がん治療はもはや時代遅れだ! | 毎日新聞出版

 

今回も、素晴らしい集いをありがとうございました。もっと勉強したいです。

ワトソン先生のように

断食してからちょっと弱ってたのか、パソコンの電源を入れるのが億劫で。

だけど少しずつ元気になって、変わらぬ日々を過ごしておるのです。

 

おととい鍼灸院に行ったら、水曜担当の美人若先生はお休み。院長が臨時担当。

わたしがその日最後の外来だったらしく、

施術後になんと治療室の壁がどーんとフルオープン。魔法かっ。

色あせたカーテンとベッド、電子灸の機械や経絡図や白いツボ人形が並ぶ

古びた治療室の隣のお部屋は、緑豊かなお庭に面した広々としたリビングで

素晴らしいソファやピアノ、大理石のテーブル、クラシカルなカップボード、

唐三彩や工芸品、美しい調度品の数々が並ぶシックなインテリア。

 

「お茶を飲んでいってね(にっこり)」

 白衣を脱いだ院長先生は、虹色のシルクのワンピース。きれい。

お湯を注いで手渡されたワイングラスの中で、

中国茶のボールがゆっくり開いて菊の花のように大きく咲いていく。夢みたい。

 

治療室の隣がこんな魔法部屋になっていたなんて驚きましたよ、素敵ですね。

「ずっと夢だったのよ。シャーロックホームズのワトソン先生のように、

自宅で開業するのが。イギリスみたいなお部屋で、

患者さんが来れば白衣を羽織って治療するのが夢だったの。

わたしは夢が叶ったのよ。だからあなたもね。

治ったら、いつか一緒に中国に行きましょうね」

 

先生の優しさとロマンに胸いっぱい。

先生のお母さんは中国で女優だったけど若くして亡くなった。

なるほど、道理で先生は美人。若先生は超美人。

先生のおじいさんは中国で屈指の劇団の座長、

今の日本でいうところの猿之助みたいな存在感のある芸術家だったけど、

文化大革命で放逐されてしまった。

若き日の先生は中国で医術を学んだとき、いろんな道がある中で

経絡こそが将来の人を救うと直感した。

そんな興味深いお話を聞くうちに、とっても元気が出てきました。

 

「あなたは泣き言を言わない。

あそこが痛い、ここが辛い、人生うまくいかない

そんな患者さんばかり(そりゃそうだよー。だから鍼灸に行くのに)の中で、

あなたは辛いと言わずに明るくしていて、

自分で勉強し、自力でできることをがんばっているよ。

応援する。共にがんばろうね。」

 

そのようなお言葉をいただき、もう感謝感激。

脇腹が痛い、下痢する、吐き気する、

なんていつも伝えていたつもりだけど。

嬉しい。

実際、わたしは鍼灸が絶対に治療に役立っていると思う。

 

サイモントン療法で、瞑想時には

「あなたは今世界で一番心地よいと思う場所にいる、とイメージして」的な

プロセスを踏むのですが、

ハワイもヒマラヤも白神山地プロヴァンストスカーナ

行ったことない私がいつもイメージするのは

この鍼灸院のひなびたベッドの上でした。まじで。

 

それが今や、扉の向こうに英国の静かな空間と

先生の微笑みがあるというひなびたベッドに進化したのです。