すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

笑いヨガ、イージーヘブン

再発を告知されてから、笑いヨガに参加し始めました。去年、朝のラジオ体操の公園で知り合ったMさんが「いらっしゃいな」と誘ってくださっていたのですが、なかなかその気になれず見送ってきた近所の区民センターでの週1回の集い。笑いヨガは、サイモントン療法の伊豆でのセミナーで一度だけ体験したことがあって、そのときは心が閉じていたので(あぁ・・・笑)ノリについていけず、斜に構えてしまっていたのでした。しかしこのたびはもう後がない、おっそろしぃ、がんに追いつかれてしまったわたしには小さな逃げ場がどうしてもどうしても必要で、もはや笑うしかないぞー!っと、そんな気分で、水曜の夜、笑いヨガの集まりに足を運ぶようになったのです。

声をかけてくださったMさんもまた食道がんのサバイバーであり、笑いヨガを通じてこころと生き方の整えを完了し、がんを克服し、どん底な人生を脱却し、今はお元気で日々にこやかに過ごしていらっしゃるのです。

 

「笑いヨガは、誰でもできる笑いの健康法です。1995年にインド人医師Dr.マダン・カタリア夫妻が考案したもので、ユーモア、冗談、コメディは使わず、理由なく笑うというユニークな方法です。笑いの体操と、ヨガの呼吸法をあわせているところから笑いヨガと呼ばれています。酸素がたくさん取り入れられ、健康と活力が実感できます。」と日本笑いヨガ協会のHPに書いてあります。脳は意外とアホで、作り笑いと本気笑いの違いがわからないんです。顔と声だけ笑ったふりしてりゃあ、脳は幸せで満たされて、免疫力も上がり、カラダにも良いことがおこるのです、ということらしいはっはっはっは。

思えば初回参加時、リーダーらしき男性が笑いヨガとは何かを真面目に説明しながら、語尾にはっはっはっと枯れた笑いをぶら下げてくるのが、もう異世界を予感させるのには十分だったことだなぁ、はっはっは。

参加してみると、みなさん暖かくやさしく迎え入れてくださり、それだけで嬉しくてしょうがなくなり。プログラムは、どうでもいいことやくだらないことをその場にいる全員で、ごく短い時間で演じては笑い飛ばしていく、というか強烈にぶっ飛ばし、延々とそれをやる、畳かけていくというもので、大声を出して笑う(ふりをする)そのうちに、酸欠になって、脳汁があふれ、こころのタガが外れ、笑いの渦に巻き込まれて未体験ゾーンに突入するのでした。大の大人たちが無心にぎゃはははは、わははははは、ギャーギャーキエエエエエと奇声を上げて笑い合う狂気の世界、忘我のイージーワールド。(ここまで導いてしまう指導者の方、そうとう優秀なんだろうなぁ)

参加者は中高年が多くどの方も、「訳あって、もうここで笑い狂うしかないんすよ」という背景を、おそらくはお持ちなのだろうと感じました。そうでなければここには来ないだろうと、下世話にも勘ぐってしまうのです。中には、わたしと同類の人もいるかもしれない。そうでなければ、この空間と時間は生まれないだろう・・・知らんけど。

さて初回参加の日は、後半になってM君という若者がやってきました。シャツはボロボロでホームレス寸前の装い。M君は重度の発達障害を持つ人で、彼を招いた女性の話によると1日の大半を「あっちの世界にいるのよー」とのこと。そんなM君、笑いヨガでアツアツになってる会場にいきなり入室してしまったものだから、たちまちパニック発作を起こして物置に閉じこもったり、頭を抱えて暴れたり。笑いヨガの部屋はますます訳がわからなくなり、それでもまだ笑い続けるわたしたちがいて、イージーワールードは大暴走。

やがて落ち着きを取り戻したM君が、みんなを無視して小さな楽器を奏で始めました。誰かがCDを?と思うほど美しい音色でした。では、彼の弾くカリンバを聞きながら今日はクールダウンして終わりましょうと指導者。照明を消し、みんなで床に寝そべりました。さっきまで獣のように暴れていたM君が、聞いたことがないような美しい天上の調べを奏でるので、酸素不足&脳汁過多のわたしは涙が滲んできました。天使や!天使さまや!こんなところに来てくださった!ここはイージーヘブンや!

こうして寝転びながら、ずっと即興カリンバの音色に包まれていました。ところが背後に、ザーッザーッとノイズが聞こえてくる。ちょっと怖いなと思った瞬間、突然、誰かが歌い始めました。これがまた筆舌しがたく美しい即興ソングで、今夜はいったいどこまで連れていかれるのか、いやずっとここに永遠に居たい、なんて気分になり。歌っていたのは、参加者のWちゃんという方(この方も遠くを見るような不思議な目をしていた)らしい。

こうして笑いのクールダウンは終わり、わたしは天上から戻り、あのノイズはM君がスマホで鳴らしていた人間の母親の胎音だとわかり。余韻の中でもう一度気が遠くなるような感慨に包まれてしまった。なんなのよ笑いヨガ。奇跡にもほどがある。

 

そんなこんなで今も毎週、区民センターの集会場に通っています。水曜は病院で抗がん剤を打つ日。その夜は笑いヨガの日。あの夜のような奇跡の時間はそうそうないけれど、笑いヨガの空気の中にいると時折イージーヘブンが手招きする瞬間があり、それがたまらなくこころを解放してくれる、ような気がするのです。がんを忘れ、不安を忘れ、孤独を忘れ、我を忘れ、愛と祝福に包まれる・・・ような気がするのです。あの、笑いが共鳴しあう瞬間が、いまのわたしにはとても大切です。先週、途中でトイレに行ったら、遠くから狂気の笑い声が響いてきて、客観的に感じればぞっとするほど気が狂ってると思いました。はやく。あの中へ。帰らないと!わたしは急いでトイレを後にしました。

 

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ)

 昔、住んでいた部屋の斜め向かいに教会があり、そんな張り紙が出ていました。休ませてもらおうかと何度も思っては通りすぎていました。いまマタイは、「わたしがあなたがたを笑わしてあげます」と言っている気がする。必要とする人には訪れる何かがあることを、信じたいです。