「すべての瞬間を大切にするわ」

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

青江三奈とパバロッティ

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 前回のブログに青江三奈さんのことを少しだけ書きました。また聞きたいな、あのMy Way。ということでアルバム「青江三奈スタンダードを歌う」を、通しで聞いてみました。My Wayはもちろん、イエスタディワンスモアなど素晴らしい歌の宝石箱。青江三奈さんの声質は少しハスキーで、まるでブラックダイヤモンドの砂のよう。表現力は圧倒的で、絶妙のさじ加減で魂がこもってる。洗練された昭和ムードのアレンジも沁みまくりなのでした。日本には昔こんなに素晴らしいシンガーがいたのか。それで、がぜん青江さんに興味を持ち、wikipediaを見てみたらずいぶん前に亡くなられていて、なんと死因はすい臓がん・・・・えっ、もしかして呼ばれちゃった?

実は少し前にも似たようなことがありました。6月のある雨の日。田んぼで農作業中になぜか突然パバロッティを聞きたくなり。雨が強くなってきたので、作業小屋で雨宿りしながら車に積んでたBluetoothのスピーカーでトゥーランドットを聞きました。雨に煙る美しい田んぼの風景に響き渡るテノールはそれはそれは美しくて、今わたしはトスカーナにいるのかと錯覚したほど。パバロッティはもう引退されたよねーなどと気になってスマホで調べてみたら、既に亡き人であり、しかも死因はすい臓がんだったと。雨に煙る田んぼで呆然。

ほんとうに不思議。偶然は必然であり、シンクロニシティとか、内なる叡智とか、引き寄せとかいろいろ呼び方はあるようですが、そうか、こういうことなのかなと思います。では、わたしはここから何を読み取るべきなのか。または、読み取らなくてもいいのか。

青江三奈さんは、宣告を受けてからもステージを優先し治療を後回しにして歌い続けたそう。パバロッティは手術後舞台には立てなかったそう。またなんでわたしは、彼らの歌を聞いているのか。なんで今なのか。わからないまま、いまこの時、美しい歌声を聞くことができてラッキーだなぁと。

無理矢理にでも解釈すると、「こっちへおいで〜」と呼ばれているのではなく、「すい臓がんを忘れるなよ、なめんなよ、意識してちゃんと生きろよ、やることやれよ」などという無意識の声のアドバイスのような気もします。 歌っていうのは生き方のエッセンスだもの。

 

 

 

(内なる叡智についての考えメモ)

実はこの世のすべては、すでに、もはや、均質・均一に、わたしたちを取り囲んで遍在しており、わたしたちは日々そこから、そのとき必要なものを無意識に選び取って生きている。ただ、わたしたちはあらかじめ全部がそろっていることに気づかないで暮らしている。

ところがある瞬間、何かのきっかけで、特に崖っぷちにぶら下がったりすると、こころにひとつ「〇〇を意識するのだー!」という火が灯る。そうなると、以後は自分の脳みそ(こころ)がこの世のすべてから自動的に「 〇〇関連情報」を凄い勢いでソートして、その中で最も佳きものを選びだし、まるでビシッとポインタを当てるように、シンプル明快に目の前に示してくる。

場を読む、空気を読む、というのも本来はこの感覚なんじゃないかと思ったり。また八卦とは、これを当人の外側から第三者が観測する方法なんじゃないかとも思ったり。(※すごく個人の感想です)

なんでもあるこの世界、すべてがそろったこの世界で、潜在意識はただ1点に鋭く光をあてて「ここよ、ここよ、ほらこれでしょ!」って言っている。恐れず受け取りたい。明日は手術後はじめてのCT検査。恐れずに受診したい。