すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

がん患者、こころの修行

先週6日間、がん患者のための、とある認知療法のプログラムに参加していました。

人生、誰もがものごころついたときから今日に至るまですべての経験を通じそれぞれに物事のとらえかた、考え方、判じ方を自分なりに固めてしまっています。自覚あるなしに関わらず、年齢重ねるほど頑固に思い込んでいる。それは信念とも生き方ともいえるけど。それが仕事や自己表現において、上手くいくこともあるよね。絶対あるよね。しかし一方で、自ら生み出した信念を貫く中、歓びよりも苦しみがいや増していくと、それがいつの間にか体やこころをむしばんでいくとわたしは思っています。今さらだけど。実際、わたしはそれですい臓がんになったと思ってる。いい人の振りをし、もろもろを押し殺し、自分で気づかぬふりをしながら、からだの奥の奥、胃袋に隠れた小さな臓器に腫瘍をつくってしまった。

 

人は思い込みや価値観を変えないと、変われない。ましてがん患者は救われない。そう。こころが救われない。命は救われるかどうか知らんけど。告知を受けてからこっち、ずっとそう思っていた。

 

告知されてから、わたしは特に精神面の課題を解消したいと思うようになり、いまこの人生、今生での生まれ変わり指向が強くなりました。まぁそれだけ過去の生き方を反省しているわけですが、もともと自虐・自罰傾向が強い性格なのもあって、「生まれ変わらなければ死んじゃう!」などと思っていました。もちろんこれも思い込みなのでしょう。だけど、どうしようもなかったし、なんとかできるなら、やりきってみたいと思いました。それが恐怖や孤独に立ち尽くすこころを鎮め、平穏に導くと思っていました。

 

さて、今回受けたプログラムでは自分を変えていくための技術、こころの置き所、この世界は(とくに人間もまた)美しいこと、自然が最も大切であることなどを知り、確かめることができました。とても良い内容でした。こころ震えるような瞬間もありました。いままでパイプ詰まりしていた涙も少し流せました。よかったねわたし。

深刻な病状の患者さんが、劇的に元気になっていく姿を見ました。あんなに絶望にうちひしがれていた人の目に光が宿り、頬はつややかに紅潮し、最終日には力強い足どりで施設を去っていく姿を拝見して、この人、きっとがんが小さくなって長生きするんじゃないかと思いました。

いっぽうわたしは正直言って、落ちこぼれたのです。なんと。全力でプログラムに向き合ったつもりだし(以前のわたしなら斜に構えたかもしれん)、ワークにも真剣に取り組んだけど、前述の方のような劇的な変化はありませんでした。過去にたくさん性格改善めいた本を読んできたせいで、変な下地があったせいかもしれない。

だけど、落ちこぼれたことをそれほど悔やんでいないのです(ここ自分でも驚きポイント)。わたしはいまここが出発点だと感じています。実践は日々のいとなみの中で、自分にとって心地よい方法で、心地よいペースで、やっていけたらそれでいいやと思っています。必死、執着、そういうものから次のステージへ行けたらいいな。未来はどうなるかわからない。でも希望を持つことはやめないでいたい。

今までずっとあんなに欲しかった「こころの平穏」へ向けて。いまスーパーリーチがかかっているんだと自分に言い聞かせています。