すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

笑いヨガ、イージーヘブン

再発を告知されてから、笑いヨガに参加し始めました。去年、朝のラジオ体操の公園で知り合ったMさんが「いらっしゃいな」と誘ってくださっていたのですが、なかなかその気になれず見送ってきた近所の区民センターでの週1回の集い。笑いヨガは、サイモントン療法の伊豆でのセミナーで一度だけ体験したことがあって、そのときは心が閉じていたので(あぁ・・・笑)ノリについていけず、斜に構えてしまっていたのでした。しかしこのたびはもう後がない、おっそろしぃ、がんに追いつかれてしまったわたしには小さな逃げ場がどうしてもどうしても必要で、もはや笑うしかないぞー!っと、そんな気分で、水曜の夜、笑いヨガの集まりに足を運ぶようになったのです。

声をかけてくださったMさんもまた食道がんのサバイバーであり、笑いヨガを通じてこころと生き方の整えを完了し、がんを克服し、どん底な人生を脱却し、今はお元気で日々にこやかに過ごしていらっしゃるのです。

 

「笑いヨガは、誰でもできる笑いの健康法です。1995年にインド人医師Dr.マダン・カタリア夫妻が考案したもので、ユーモア、冗談、コメディは使わず、理由なく笑うというユニークな方法です。笑いの体操と、ヨガの呼吸法をあわせているところから笑いヨガと呼ばれています。酸素がたくさん取り入れられ、健康と活力が実感できます。」と日本笑いヨガ協会のHPに書いてあります。脳は意外とアホで、作り笑いと本気笑いの違いがわからないんです。顔と声だけ笑ったふりしてりゃあ、脳は幸せで満たされて、免疫力も上がり、カラダにも良いことがおこるのです、ということらしいはっはっはっは。

思えば初回参加時、リーダーらしき男性が笑いヨガとは何かを真面目に説明しながら、語尾にはっはっはっと枯れた笑いをぶら下げてくるのが、もう異世界を予感させるのには十分だったことだなぁ、はっはっは。

参加してみると、みなさん暖かくやさしく迎え入れてくださり、それだけで嬉しくてしょうがなくなり。プログラムは、どうでもいいことやくだらないことをその場にいる全員で、ごく短い時間で演じては笑い飛ばしていく、というか強烈にぶっ飛ばし、延々とそれをやる、畳かけていくというもので、大声を出して笑う(ふりをする)そのうちに、酸欠になって、脳汁があふれ、こころのタガが外れ、笑いの渦に巻き込まれて未体験ゾーンに突入するのでした。大の大人たちが無心にぎゃはははは、わははははは、ギャーギャーキエエエエエと奇声を上げて笑い合う狂気の世界、忘我のイージーワールド。(ここまで導いてしまう指導者の方、そうとう優秀なんだろうなぁ)

参加者は中高年が多くどの方も、「訳あって、もうここで笑い狂うしかないんすよ」という背景を、おそらくはお持ちなのだろうと感じました。そうでなければここには来ないだろうと、下世話にも勘ぐってしまうのです。中には、わたしと同類の人もいるかもしれない。そうでなければ、この空間と時間は生まれないだろう・・・知らんけど。

さて初回参加の日は、後半になってM君という若者がやってきました。シャツはボロボロでホームレス寸前の装い。M君は重度の発達障害を持つ人で、彼を招いた女性の話によると1日の大半を「あっちの世界にいるのよー」とのこと。そんなM君、笑いヨガでアツアツになってる会場にいきなり入室してしまったものだから、たちまちパニック発作を起こして物置に閉じこもったり、頭を抱えて暴れたり。笑いヨガの部屋はますます訳がわからなくなり、それでもまだ笑い続けるわたしたちがいて、イージーワールードは大暴走。

やがて落ち着きを取り戻したM君が、みんなを無視して小さな楽器を奏で始めました。誰かがCDを?と思うほど美しい音色でした。では、彼の弾くカリンバを聞きながら今日はクールダウンして終わりましょうと指導者。照明を消し、みんなで床に寝そべりました。さっきまで獣のように暴れていたM君が、聞いたことがないような美しい天上の調べを奏でるので、酸素不足&脳汁過多のわたしは涙が滲んできました。天使や!天使さまや!こんなところに来てくださった!ここはイージーヘブンや!

こうして寝転びながら、ずっと即興カリンバの音色に包まれていました。ところが背後に、ザーッザーッとノイズが聞こえてくる。ちょっと怖いなと思った瞬間、突然、誰かが歌い始めました。これがまた筆舌しがたく美しい即興ソングで、今夜はいったいどこまで連れていかれるのか、いやずっとここに永遠に居たい、なんて気分になり。歌っていたのは、参加者のWちゃんという方(この方も遠くを見るような不思議な目をしていた)らしい。

こうして笑いのクールダウンは終わり、わたしは天上から戻り、あのノイズはM君がスマホで鳴らしていた人間の母親の胎音だとわかり。余韻の中でもう一度気が遠くなるような感慨に包まれてしまった。なんなのよ笑いヨガ。奇跡にもほどがある。

 

そんなこんなで今も毎週、区民センターの集会場に通っています。水曜は病院で抗がん剤を打つ日。その夜は笑いヨガの日。あの夜のような奇跡の時間はそうそうないけれど、笑いヨガの空気の中にいると時折イージーヘブンが手招きする瞬間があり、それがたまらなくこころを解放してくれる、ような気がするのです。がんを忘れ、不安を忘れ、孤独を忘れ、我を忘れ、愛と祝福に包まれる・・・ような気がするのです。あの、笑いが共鳴しあう瞬間が、いまのわたしにはとても大切です。先週、途中でトイレに行ったら、遠くから狂気の笑い声が響いてきて、客観的に感じればぞっとするほど気が狂ってると思いました。はやく。あの中へ。帰らないと!わたしは急いでトイレを後にしました。

 

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ)

 昔、住んでいた部屋の斜め向かいに教会があり、そんな張り紙が出ていました。休ませてもらおうかと何度も思っては通りすぎていました。いまマタイは、「わたしがあなたがたを笑わしてあげます」と言っている気がする。必要とする人には訪れる何かがあることを、信じたいです。

 

 

 

がんゲノム検査(自費代表選手)

再発のお知らせから1ヶ月半。淡々と、じゃなくてアワアワと日々が過ぎていきます。抗がん剤は2回やって、白血球が下がりすぎで中断、そしてまた再開。週1回の通院に加え、先端医療の合わせ技で攻めちゃうぞ系のセカンドオピニオンに行ったり、大枚はたいて自費でがんゲノム検査を依頼してみたりして、なんだか以前より忙しいし金遣いが荒いのです。まず健康保険で3割といえども、いまやっている抗がん剤が1回約5万円とは驚くばかり。高額医療費制度を利用しても出て行くものは出て行くのです。

 

わたしは恵まれています。ずっとフリーランスで働いていたし、幸いにしてお仕事はたくさん頂戴していたし、お金を使う暇もなく、欲しいものもなく、がむしゃらにたくさんたくさん働いて貯まっていたお金、いま吐き出している。

お仕事は楽しいことも多くやりがいもあった反面、無理、無茶、我慢を重ねてきました。こうしてすい臓がんになったことも、今になってお金を湯水のように使ってしまっているのも、すべては自作自演だなぁと。そう思うと静かな気持ちになる。生命保険に入っていたのは本当に良かったし助かった。けれど、もとがケチくさい掛け金だったので、今は焼け石に水の少額請求、それでもありがたいこと。

きっとわたしは種銭が尽きるまで、なんやかんやとやるんだろうなぁと思う。常に何かやっていることで、気が安らぐところがある。お金を垂れ流す痛みが、こころの苦しみをマスキングしてくれることにも気づいています。それができることに感謝すら覚える。

さて、ゲノム検査はまさに博打で、すい臓がんの場合は、他のがん種よりも遺伝子変異がわりと似たり寄ったりな傾向があるから薬が見つかるのはかなり低確率だと言われました。それでもやりますか?はいやります。仮に薬が見つかっても高額自費になるでしょう。それでもやりますか?はいやります。ではここにサインを、、、的なやりとりののち、病院の精算機に吸い込まれていく札束を見送ったのでした。うおおお凄い吸引力や。

過去、自費でゲノム検査を受けたけど外れクジをひいた亡き友のことを思いました。その人は「金ドブだったなぁ」と言ってた。だけどわたしはいまこの時点では「それはわからない」と言える。当りを引く確率が仮に100分の1だとしても、わたしには凄い高確率に思えたから。

昔、パチンコを嗜んでいたときがあります。CR機が普及しだしたあの頃。大当たり確率は約350分の1で、当然負けが多かったけど勝つこともありました。時には、最初の打ち出しの玉で確変大当たりを引くこともありました。お座り一発というやつです。これって、たいへん不謹慎な例えだけど、わたしにはリアルな連想なのでした。パチンコに比べゲノム検査って高確率やん?!と、頭の中で大当たりランプが点滅し、アタッカーが豪快に開く、といった具合に、冗談抜きでそう思ったので博打上等。わたしのアホは治らないが、がんは治せるかもしれない。結果は年末または年始に届きます。

このように自らを茶化しつつ笑いを織り交ぜて、いまここでこんなふうに書くのは、外れを引いたときの予防線、先回りの負け惜しみなのか。金ドブの言い訳なのか、知らんけど。書かずにはおれません。

 

昨日、「がんゲノム検査を自費で受けた人」の立場からお話を聞かせてくださいと言われ、ニュース番組の取材を受けました。金ドブのアホ患者代表かもしれないけど、それもわたしです。インタビューには、なんら装飾も煽りもなく素直に答えさせていただいたけど、パチンコの話はしてないので(笑)ここで補足しました。

 

治療終了、打つ手なしになってやっと保険適用されるのが今のゲノム検査。結果まで2ヶ月待ち。それで適合する薬が見つかるのは10人に1人。その薬を使うにも多くの場合、自費となる。遅いね、高いね、不条理だね、つっこみどころ満載ね。はやく普及してコストも速度もなんもかも改善して、誰もが発病後安心してベストな治療が受けられるようになって欲しいと心から願っています。やがて必ずそんな時代が来るでしょう。

 

できることはまだまだあると思う

できることはまだまだあるので、焦らず粛々と参ろうと思う次第です。

周囲の方々、こころ優しき皆さまに、

ご心配おかけしています。ありがとうございます。

なんとか力になろうとしてくれる

助けようとしてくれている人たちの気持ちが

わかるようになりました。

先週、セカンドオピニオンでは希望が見えました。

掴もうと思いました。

ゲノム検査もすすめていきます。

時間とお金と心意気を、可能性にぜんぶbetします。

 

週1回近所の瞑想クラスに通いはじめて、

こころが静かに喜んでいるのも感じます。

またまとめて書いていこうと思います。

初打ち

23日、水曜に入院し病室でアブラキサン+ジェムザールの初打ち。おとなしく微動だにせず受けているのに、頻繁にエラー。エラー解除の1秒後にエラー。その都度ナースコール。エラー音とコール音の連続に発狂しそうになる。同室の患者さんたちにも、たいへん申し訳ありませんでした。なんだかんだで初打ちは3時間余りかかってしまいました。夜、コーヒーが飲みたくなり旦那さんにリクエスト。ノンカフェインの熱々を、ポットに入れて出前してくれた。陶器の高級カップ&ソーサーをふきんに包んで持参。入院病棟の卓上に湯気のたつ本格コーヒー。アホで小粋な演出、彼も一所懸命にやさしい。カップとソーサーが揃ってないところが可愛くも切ない。

 

翌日、化学療法センターを見学しあれこれ説明を受けました。外来通院のたびに見かけていたこの入り口。ああここに入室する日が来ようとは。前日のエラー音について質問。「よくあることです」。この部屋中にエラー音がひっきりなしに響きわたるところを想像してまた発狂しそうになる。ヘッドホン○必。そんな誕生日。

 何人かの友人がLINEでおめでとうメッセージをくれました。あとは、過去に通販したネットショップ各店からのお祝いセールス。

10年ほど前のこと。「誕生日なんてめでたくないよー。また年をとって老けていくのを自覚するだけ。嫌い」などとヒネくれて言ったことがありました。そこへ旦那さん「誕生日は、年をとることを祝う日じゃない。この世に生まれたことを祝う日なんだ」と名台詞を。忘れがたい。

そんな思い出も蘇ってきましたよ。

 

術後1年半、再発

今日も元気。歩いてる。ちゃんと歩けている。そう思っていたけれど再発しました。すい臓がん手術後の1年半は激アツ再発ゾーンだそうですが、まさにど真ん中のヒットです。先週CTの結果、左腎臓の静脈を包むような影、育ち盛りといった風情で。わたしが元気だと、がんも元気になるんだろうか。

しかし、未だに沈黙の腫瘍マーカーである。当初より腫瘍マーカーがぜんぜん反応してくれない体質なので、手術後は3ヶ月毎のCTで見張るしかなかったんですが、その弱点を突くように再発したがんは、なかなか立派に育っていました。腎臓の太い静脈と小腸を木の枝に見立てれば、その枝に覆い被さる小鳥の巣のようだ。

今、改めて3ヶ月前のCTを確認してもらうと、既にうっすらと誕生している気配が見えました。これは専門医が見落としてもしょうがないレベルだから恨まないけどね。

 

 ・1011日 再発ですと言われた

 前週に撮ったCTの画像を見ながら、外科S先生から言われました。頭のてっぺんから冷や水。だけど、頭の芯にはスースーと風が吹いて、妙に冴え渡っていました。涙なんて出ないし、妙に落ち着いていたけれど、時間がたつとともにえも言われぬさみしさがじわじわとやってきました。悲しいとか苦しいとか怖いとかよりも、淋しい感じ。去年の2月にがん告知されたときよりも、もっともっと荒涼殺伐とした心境。圧倒的な孤独感、寂寞感、この世界の美しさ全部がいきなり遠ざかるような感覚。再発したよと旦那さんに電話しました。

夜、仕事を終えた旦那さんが帰ってきました。台風19号の接近で眠くなって布団で寝ていたわたしに、黙って添い寝してくる。ふと見れば、彼は涙を流していました。ハンサムでホリの深い鼻筋に透明な水がたくさん溜まって流れ落ちていく。わたしより旦那さんのほうが、もっと辛いんじゃないかなと思いました。いままで患者会で出会った家族の人たちが、患者本人よりも切実で悲しい表情をしていたことを思い出す。

旦那さんが可哀相になる。お仕事は不安でいっぱい、愛車は事故って再起不能。本当にかわいくて愛して心の支えだった猫さんも亡くし、とうとう嫁はこのありさま。ああ神様、どうかこの人を幸せにしてください。

 

1015日 1年後はわからんと言われた

 

本日は、外科から消化器内科へ転科しての初回外来。新しい主治医F先生に詳細を聞きました。根堀葉堀聞きました。先週、外科S先生は「このままなにもしなければあと1年です」とおっしゃったが、今週の消化器内科F先生は「抗がん剤はやってみないとわからない。効かなければ、1年後あなたはもうここ(この世)にいないこともある」とさらにレベルを上げてくる。重粒子線やゲノム医療などいろんな可能性をお聞きするも、いま現在ベストな選択は「来週から抗がん剤、ジェムザールとアブラキサン始めましょう」に行き着く。あっ、抗がん剤の初回はわたしの誕生日、こりゃめでたい!などと無駄でスカスカで哀れなほどの強がりをまたわたしは・・・

他、セカンドオピニオンの相談もしました。F先生はなかなかフラットで協力的、いいねいいね。

そう。まだまだ人生は続くし、わたしは明日も歩くのです。今までどおりコツコツと。時にはどかーんと一発も。できることをやっていこう。重粒子線だけでなく、わたしには他にも特出しのアンダーグラウンドなネタがある。犬の駆虫薬療法からフィリピンの心霊治療まで、すでにルートは確保済みだぜ。笑。マジで。

(3倍危ない?)玄米食とヒ素

 手術後1年半。今まで、それなりに食事療法をがんばってきました。菜食原理主義みたいなシビアなやつは性格的に無理なのでゆるめに、それなりに健康的な献立を意識してきました。

・主食は玄米、ハト麦入り。低農薬の自作米

・おかずは薄味、野菜たっぷり和食

・蒸しビーンズ、豆腐、納豆、テンペなど豆豊富

・毎朝、青汁。生ケールとりんごとレモン

・週2で小魚や青魚を動物性タンパク源に

・野菜ときのこの薄味スープが美味い

・ヒジキ、わかめ、のりなど海藻類ばっちり

・大根ゴボウなど根菜さんと仲良し

 

味付けはタニタ食堂の薄味加減(ほんとうに薄味です)を舌でコピー。発病以前の食事とはかなり内容も味も違うため、旦那さんからは「根性飯」などと言われていたが、慣れると美味しい我が家の味になりました。1年半続けてきて実際の健康効果や、体内ミネラルの過不足を知りたくなり、先月、郵送でできる毛髪ミネラル検査をやってみました。Amazonで売ってるやつ。髪の毛をひとつまみ、根元から3㎝切って検査機関に送ります。過去3ヶ月分のミネラル蓄積がわかるそうです。10日ほどで結果が送られてきました。

 

結果に愕然。正直、大ショック。

なんと有害ミネラル「ヒ素」が大量に検出されていました。結果表のグラフ、見応えがあるほどヒ素だけ長いじゃん・・・orz。基準値上限の約3倍。まさかの危険度トリプルスコアです。ちなみに水銀も鉛も他の有害金属はすべて安全圏内でした。マグロや大型魚を食べてこなかったおかげかもしれません。

さて、カラダにヤバいヒ素は一体どこから来たのか。原因を考えてみるとまずヒジキが怪しい。ヨーロッパでは発がん性から禁止されている食材。わたしは昔からヒジキの煮物が好きで、退院後はずっと貧血気味だったこともあり、月に数回、小鉢程度の量を食べていました。うむ。しかしこの頻度と量でトリプルスコアいくだろうか?

玄米を疑っています。

真犯人っぽい気がする。健康に有益なビタミンミネラルは米ぬか部分に凝縮しています。食物繊維も豊富で、これが玄米食の主なメリットです。精米するとこれら栄養素は失われるので、白米じゃなく玄米を食え!喰うのじゃ!というのが健康食や療養食の定説です。しかし同時に有害ミネラルも米ぬか部分に凝集している。日本の土壌はもともとヒ素の含有濃度が高く、古来より日本人は農作物からそれなりに摂取しているそうですが、健康を害するほどの量ではないというのもまた定説でした。農水省もそう言っています。だけど危険数値の3倍量は、さすがにどうかと。うちの玄米ご飯はメチャ美味しいし、これからも食べ続けたいのですが、不安でビビりながら食事するのは嫌だな。ヒ素対策として、玄米をゆでこぼして炊く方法などもあるようですが正直めんどくさいし、有用なビタミン類も流出するでしょう。困ったね。

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あと、もうひとつショックな結果。有用なミネラル。カルシウムとマグネシウムが少なすぎ危険域。小魚はせっせと食べてるし、1日1万歩歩いているのに、派手にカルシウム不足。なんでやー。加齢のせいもあるだろうけどそれにしても酷い。さらにマグネシウムが貧弱過ぎる。これは予想外でした。がんの再発予防のためにも、ミトコンドリア様には全力でいい仕事をして頂きたいと願い、ミトコンドリア様の活力源であるマグネシウムを意識して、高含有な食材(ヒジキも玄米もだよ)を摂っていたつもりだったのです。これでは全くATP回路が空回りではないかうぇーん。ミトコンドリア様、全然働いていなかった・・・。

思えば、繋がることがある。玄米食に青魚を食べ、毎日運動を続けていても、肝臓の数値がずっと悪い。脂肪肝が全く改善しない。長らく高脂血症(中止脂肪値280 mg/dlあたりをうろうろ )であることや、血糖値のコントロールがうまくできていないことなども、マグネシウム不足に関係している気がします。糖と脂質の代謝がうまくいっていない。しょんぼり。よっしゃ、そしたらニガリでも飲むか!?と思ったけど、ただでさえ下痢なのがより深刻化しそうで怖い。

あと気になるのはカリウムとナトリウム、ヨウ素の過多。カリウムは野菜を、ヨウ素は昆布やわかめをたくさん食べているためだと思われますが、塩分少なめタニタ食堂級の薄味なのになぜナトリウムが? 謎。

 

カラダによかれと思ってがんばってきた食事でした。しかしこのような結果となってしまい、もうどないせーっちゅうねん。ただ、ここで書いたようなわたしの解釈が間違っているかもしれないし、食事を見直そうにもどうすればいいかわかりません。ああ栄養士の友だちが欲しいなぁ。誰か指導してくれよー。

現在、ヒジキは摂るのをやめて、お米は5分づきで炊いて、小魚率を高めて様子見をしています。

というわけで悲喜こもごものミネラル検査でした。日頃の努力に見合う数字が欲しかったんです。自分で納得し、毎日の食事への取り組みは間違っちゃいないよと自信を持ちたかったのです。そんなスケベ心で余計なことはしないほうが平和だったのかもしれません。知らぬが仏です。3ヶ月後に再度毛髪検査をして経過を確認する予定ですが、もう絶対やらないかもしれない。検査や数値に左右されない、強さが欲しいです。いつもわたしは元気だしカラダもちゃんと動いています。自分で実感できている元気をこそ信じるべきなのです。と、頭で思って心は揺らぐ。修行不足です。

 

種子島でロケット打ち上げ

  • 8万発と1発

秋分の日の月曜日。その昔デスクを並べた懐かしい同僚たちと集いランチをしました。みんな元気にそれぞれ働いていて何よりです。元同僚の一人が言う「こんど釜山に、花火大会を見に行くの。なんと8万発も上がるのよ!」。8万発かー、それは凄いな。「実はわたしも明日見に行くのよ。1発だけなんだけど・・・」

というわけで翌火曜日わたしは鹿児島に飛び、17時30分、種子島に上陸。秋の夕暮れの光とツクツクボーシの声、広い空にひこうき雲。うわーきれい。アニメ映画「秒速5センチメートル」の風景そっくりの空気感と透明感。そらそうだ、ここがロケ地だよ。そして同日夜23時。わたしは南種子の展望公園に立っていました。HⅡBロケットこうのとり8号、発射予定時刻は25時05分05秒。ホントに来てしまった!

 

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  • 行動した

ここまで急展開でした。当初9月11日だった発射予定(チケット取れなくて断念)が延期になり、24日の予定がさらに翌日へと延期され、25日にずれ込むことが決定。そのとき、緊急弾丸ツアーの臨時ゲートがわたしの目の前に突如開いたのでした。それが先週の土曜の夜のことです。なんとも幸運なおこぼれツアー。11日と24日に涙を呑んだ人たちがいて、その先に25日のわたしがいる。ここにいる。

今回の情報をくださったHさんは11日の空振り組で、彼女は日米露と何十回も発射を見てきた宇宙大師匠であり宇宙女神なのだけど、「夜の発射はねー、打ち上げを見慣れた種子島の人でも息を呑むほど凄いって言うよ、見られるなんて羨ましいなぁ」などと煽ってくださる。何事もあきらめないで待ってみるものだ、そしてチャンスが来たら行動することだなぁと今回しみじみ思います。もうずっと昔からロケットの打ち上げを見たいと憧れ続けてきたのに、口だけで行動してこなかった。

 

  • 打ち上げ

種子島中種23時。ツアーバスを降りたら漆黒の闇の中。海峡をはさんだ3キロ先にライトアップされた発射台が見えました。やばい!何これ!超かっけー!この眺めだけで心拍数はMAX。超ドキドキ。だけど発射台から目を離せば、波の音と虫の声だけの静かな種子島の秋の夜、やがて目が慣れてくると空にはびっしり敷き詰められた星。天の川には時々星が流れてきます。ここには1/f的な何かがゆらぎまくっていて、脳はだばだばとシータ波(?)を垂れ流してくるし、心は平穏さのあまり今にも闇に溶けそうになるんだけれど、発射台に目を向けるたび心拍数は瞬時にMAXに駆け上がり。その繰り返しがやたら忙しくて幸せで、あっという間に時間が迫ってきました。

遠くのスピーカーから、女性ボイスの日本語カウントダウンが微かに。この音声がまた淡々とかっこよくて目眩がするほど。やがて150〜200人ほどが見守る公園が緊張感で静まりかえり、真っ暗な闇の中、もう波の音とカウントダウンの声しか聞こえない・・・その時、突然、対岸の発射台が太陽のように眩しい光を放ち、白煙の塊がふくらみ、浮き上がるロケット。そして空間を力ずくで曲げるような爆音がやってくる。どーんとか、どかーんじゃないよ。ギュイギュイギチギチ巨大な螺子を巻くような爆音が見える。刺さるように強くて巨大な光量で、空はたちまち日中のように明るくなり、昼を上空へと持ち上げていく。打ち上げの瞬間に叫んだ周囲の人ももはや忘我の境地、ロケットの光が夜空に消えるまで無言。わたしもだ。

 

  • 感想

3キロ先とはいえ、肉眼で見るロケットにはとてつもない重量感と硬質感があって、発射の爆発力にも度肝を抜かれました。こんなものを宇宙まで上げてしまう人間のパワーと技術力に畏怖の念がわきました。感動という言葉では足りないし、凄いという言葉も言い得ていないし、上手く書けません。もちろん感じ方は人それぞれに違うでしょう。今回ツアーで出会ったお一人さま参加の女性は、巨大な生き物に見えると言っていました。わたしは後から罪悪感がやってきました(このことはめんどくさいので詳しく書かない)。

今回、種子島に行くまでは、生きているうち元気なうちにやりたいことをやっておかねば!とか、すい臓がんの恐ろしさから逃げて忘れて、どかんと一発大きな感動で免疫を爆上げするぜ〜!なんて目論んでいたけれど、もはやそんな考えもどうでもよくなってる今。あの瞬間、いとも簡単に別次元が開いた、そこに生きていたんだと思えます。

 

  • アホみたいにやれ

「がんのことを考えない。自分が好きなこと、やりたかったことをやればいい」と、先輩患者が以前アドバイスをくださった通りでした。やっとわかりました。今回、すい臓がんのことなんて完全に忘れていた。それが今はとても嬉しいし、やり方もわかりました。ロケットじゃなくてもできるはず。好きなことをアホみたいにやっちゃえばいい。

また、昨年すい臓がんでご主人を亡くされたEさんも、以前アドバイスをくださっていた。絶望でガクブルしながら必死に足掻いていたわたしへ、「いつも感動し前向きになんて生きられないけれど、日々を研ぎ澄まし、こころ震える瞬間を捉えなさい。その瞬間が苦しい人生の隙間を、過去さえも、返し縫いのように埋めていってくれるのです」と。今回の体験ほど、力強い返し縫いもそうそうなかろう。こうしてわたしの種子島弾丸ツアーは終わりました。あー、面白かった。楽しかった。また行こう。

 

要約

・速攻で行動する

・好きなことをアホみたいにやる

・がんを忘れるにはデッカくいこうぜ

・ロケットならいとも簡単に別次元

・過去は返し縫いが効くので大丈夫

後出しじゃんけんはルール違反ではない

・みんな、楽しく生きようぜ