すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

地上最強のすい臓がんサバイバー

友人のK子さんが週刊誌(週刊新潮8月29日号)の切り抜きを「元気出るよー!」と送ってきてくれました。たまたま道ばたで拾ったらしい。拾うなよ。笑。いや拾って大正解。涙。「世界最長寿 田中カ子さんのめでたい116歳ライフ」という記事です。

 

田中カ子(かね)さんは、今年ギネスブックに載った世界最強のご長寿さんです。お生まれは明治36年日露戦争の前年。なんとかねさんは、すい臓がんサバイバーであると。45歳のときに手術されているので、今年で71年サバイバーしているということ。なんともすんごい。こんなの初めて聞きました。

記事は、かねさんの116年の人生の歩みと現在についてを紹介するものなので、すい臓がんについての詳細は書かれていませんが、1948年(昭和23年)に九州大学で手術をされているようです。なんと帝銀事件の年でっせ。当時の医療はどんなだったんだろう?想像もつきません。治療法だってまったく違うだろうし、今と比較にならないほど手探りだったはず。

かねさんはその後、103歳で大腸がんの開腹手術も受けていらっしゃる。100歳超えの方のがん手術は日本では10例くらいしかないらしい。もちろん大成功。空前、唖然、呆然。神さまに愛されるにもほどがある。

かねさんは、お若い頃から決して健康な人ではなかった。だけど今もお元気に生きていらっしゃり、頭もこころも強く、オセロも強いらしい。今もお茶目でいたずら好きみたい。

 

記事から読めたわたしなりの学び。

・若い頃からメモ魔(やはり・・・思いを外部に出すって大事だ)

・炭酸飲料が好き(泡が出るものわたしも好き〜)

・3食しっかり食べている(おいしく食べられる幸せ!!)

脳トレ大好き(出題を楽しんでるのがいいなぁ)

・周囲へのちょっかいと気配り(孤立しないで人と馴染みまくる超重要)

・信仰(すい臓がん術後にキリスト教信者に)

 

記事では、明るく元気に笑いを絶やさず、毎日を生き抜く姿を強調し、おおらかな人物として紹介されていますが、それだけじゃ重ねられない116年。病気に関わらず人生のその都度に、どんな思いをしてきたのか。果てしないけれど。

人生に訪れた病気や苦難を、どのように乗り越えたのか、耐えてやり過ごしたのか、ただ流れにゆだねたのかもわかりませんが、かねさんが地上最強のすい臓がんサバイバーなのは事実。かねさんを思うと、「所詮、生き死には運」と簡単には言えないものを感じるし、生存成功の秘訣なんてどんなに考えても答えはないし、学べるのは薄っぺらい表面的なことだけだけど、かねさんの存在だけで確かに元気が湧いてきます。「人生で一番楽しかったときは?」の質問に「今!」と答えたかね先輩。わたしも、そんなコト言えたらいいなぁ。

 

そして拾う神、K子さんありがとう。

また何かいいもの拾ったら、よろしくお願いいたします。

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ようこさんのこと

患者仲間で、いい友だちだった、ようこさんのことを書いて記憶しておきたいです。

ようこさんは膵臓がん患者の集いで出会いました。かわいくて明るくて30代に見えました。ステージ4b、3人の子のママで横浜住まいで、ちょっとトッポイところがあって、港のヨーコ横浜横須賀~と脳内で歌いたくなる感じ。横須賀関係ないけど。 

出会いは去年。あの時、手術して退院して間もない頃だったわたしは、不安と孤独のなかを闇雲にさまよって患者の集いに参加。その場に馴染めず、心細く座っているわたしに声をかけてくれたのがようこさんでした。誰に対してもこまやかな気遣いをする優しい人で、ありがたくてうれしくて、患者同士というよりも学校ではじめて友だちを作った中学生みたいな気分になった。

ようこさんは集いで出会った人たちとLINEのグループを作っていて、おかげで数人の患者さんやご家族さんたちと自然に仲良くなることができました。いっきに孤独が癒やされた。もう感謝しかない。

ようこさんのかかりつけ病院はわたしの自宅からバス1本と、便利だったこともあり、彼女の通院や入院にあわせてよく会うようになりました。東京タワーがズドーンと見える談話室で、いつもお茶を飲みながらいつまでも喋っていました。病気の話はほとんどせず、世間話やバカ話ばかり。きれい事抜きのブラックな話題もあった。編み物を教えてくれて、なかなかの鬼コーチだった。病気や治療の話をあまりしなかったのは、既にお互い調べ尽くしているのがわかっていたことや、病期の違い(深刻さと残された時間の違い)もあるけれど、ようこさんとわたしは患者仲間なのではなく普通の友だち同士だったからだと思いたい。去年の暮れにはようこさんとLINEグループの患者男性と3人で漫才トリオを組んで、患者の集いの二次会でアホな漫才をして楽しかった。

この春、4月の終わり頃。横浜中華街で遊ぼうぜーと誘ってくれた。ようこさんは中華街までチャリンコでやってきた。めちゃ地元民。さすが港のヨーコ。ワタリガニのあんかけチャーハンを分け合って食べて、八重桜を見に行った。「ソメイヨシノより八重桜がスキなの。重なった花びらとちょっと濃いピンクがかわいいよね。でもピンクのバラがもっと好き。来月は横浜のローズガーデンに行こうよ。バラのアーチが凄くキレイだからねー」そんな約束をして、日本大通りのカフェで今日は楽しいしもう飲んじゃおうぜーと泡の出るワインを、ふたりでノロノロ1時間以上かけて1杯のグラスを空けて、そしてようこさんは再び自転車で去っていった。

ひまわりみたいに明るい女性だったねと患者仲間たちはいうけど、わたしにはピンクのお花さんみたいな人でした。かわいくてやさしい繊細な花びらの重なりに、小さなトゲも隠してたと思う。バラ園はなかなか満開にならず、また約束の日は雨が降り、とうとうバラを見に行けないままに、ようこさんは入院していまいました。

 

そして6月の始め、地元の病院の緩和ケア科に転院。今回はお試しだから!緩和ってどんなとこか知りたいでしょう?まずは体験入院なのよーといいつつ、ようこさんはどんどん調子悪くなっていきました。

面会に行くといつもどおり病室で、バカ話と編み物の鬼コーチだったけど、ようこさんが希望した近所のショッピングセンターも一時帰宅も叶わず。時には、同じLINEグループの患者仲間M君と連れだって、何度も病室に通いました。なんとか手伝いたいと思っていた。

ある夕方、食も細ってきたようこさんが「ジャンクなものが食べたい」というのでM君とコンビニに出かけました。ソース焼きそば、餃子、ニンニク風味の唐揚げ、そしてM君が愛する缶チューハイ。これらおっさんメニューを、病室でこっそりひっそり、3人で食べました。「くーっ。シャバの味がするぜ!」とようこさんは喜んで、一口ずつ食べてくれました。楽しかったなぁ。

 

最後までやさしくしてくれました。最後にお見舞いにいった日にはもう病室を暗くして、旦那さんとお二人で静かに過ごされていました。それでもベッドからカラダを起こして、わたしに教えてくれたレース編みのできばえをチェックしようとしてくれました。ようこさんは鬼コーチだから「やだ怖い!明日持ってくるから」と答えたら、「でも明日はもう会えないかもしれないし」と言われました。ストローで水を飲もうにも、吸うちからがありませんでした。わたしはその状況が信じがたく。アホなことを言わないで~。明日また来るわ!ほなまたね!と、病室を後にしました。10分も滞在しなかった。わたしは家に帰って、夜遅くまで必死でレース編みを修正しました。褒めて欲しかった。

 翌朝、M君と10時に病院のもより駅で待ち合わせて、また面会に行くことにしました。電車で移動中にM君から着信。駅につき、M君に電話すると、もうようこさんはそこにはいません、今朝早く旅立たれ、葬儀社に移動されたと伝えられました。東神奈川駅は雨が降っていて、病院の前まで歩き、もうここにはいないんだなと。わたしもここにはもう来ないんだなと。あの日暮れ時、M君とコンビニへ、ジャンクなおっさんメニューを買い出しにいく道すがら、この空に花火がどーんと上がったことを思い出しました。横浜開港記念日の花火でした。

 

こうして、ようこさんとはもう会えなくなってしまいました。ようこさんと前後して、この夏はがん患者の知人や友人が3人旅立っていきました。みんなどこに行ったのだろう。

 

患者同士で仲良くなるのは考え物だ。言葉にならない思いがこころの底に溜まって息をするのが苦しくなる。ようこさんとのお別れは、わたしには実父が死んだときよりもひどく重く感じられ、いつまでも沈み込む。それは、行く先に到達する時間や距離の違いはあっても、わたしもようこさんと同じ道の上にいるからかもしれない。同じ病気の道の上。

だけど、友だちの時間は短かったけど、ようこさんは私にとって特別だったし、友だちになれてほんとうに良かった。かけがえのない人だ。ようこさんが繋いでくれたLINE仲間の、同じく患者仲間のTさんが「元気だったころの姿を思い出せばいい」と言っていた。その通りだと思います。病院の談話室での長い放課後。バカ話や一緒に食べたおっさん飯をずっと忘れない。これからも横浜に行くたび、よーこさんを思うでしょう。蒲田のユザワヤにいくたび、ようこさんに叱られて編み地をほどいたことを思い出すでしょう。

6月の雨に濡れたピンクのお花さん、ずっと大好きです。

16ヶ月目、TS-1卒業

手術後16ヶ月目。先週は3ヶ月毎のCT検査。結果、画像上の再発・転移は見られないとのこと。ひと安心。

しかし術後、下痢はずーっと現在も継続中。ときどき水便と激しい腹痛も。加えて先月中旬に突如、唇がタラコになってしまった。口腔内にも腫れがあり、のどが少し狭くなる。「こりゃ蕁麻疹の一種だなー、皮膚表面よりも少し深い場所に出来るタイプ」と近所の皮膚科医。抗ヒスタミンの服薬で一段落しました。若い頃から時々、蕁麻疹で苦しんできたけれど、口の中に蕁麻疹が出るとは知らなかった。

この件をCT検査の際に主治医に報告すると、「じゃあもうこの機会にやめましょう化学療法。のどが狭くなると窒息死しますから癌どころじゃないですね。まあだいたい、TS-1は1年以上飲んだからって効果的ってものじゃないですから、はいはい。」というわけで、ずーっとやめどきに悩んでいたTS-1、このたびあっさり卒業することになりました。

T(とっても)S(すてきな)1(いちばんの)お薬だと信じて今まで仲良く交際してきました。このご恩(下痢腹痛口内炎)は忘れません。ありがとうTS-1。さようならTS-1。これにて、長らく落ちていた好中球も回復していくであろう。これからはますます自助努力だ。衣食住、心技体、すべてを大切に暮らしていくのよ!・・・と決意していたところが、また一昨日から、こんどは全身に蕁麻疹が出てきて痒くてたまらず、眠れず、朝になる。じんましーん!

「マシーンが叫ぶ〜〜狂った朝の光にも似た〜あ〜」と脳内でチャーリー・コーセイさんの歌声(ルパン三世のテーマ)を再生しながら、ふたたびの皮膚科。蕁麻疹が全身に描いた巨大地図と掻きむしりの激しさ(広範囲に出血してた恥ずかしい)、それから肌色と眼球の色を指摘され「肝臓悪いね。そりゃ蕁麻疹も出ますね」とのこと。バレた。実はずっとASTとALTの数値が高い。改めて肝臓の検査、アレルギーも調べるとのこと。

さてどうしよう。肝機能の低下と蕁麻疹が蓄積したTS-1によるものなら、もうこの先は大丈夫なはず。大根と梅干しでも食っておなかからキレイにしていけばいい。いま、この辛さはTS-1からのラストメッセージ。「俺がいなくても強く生きていけよな。最後にこの痒みを贈るよ」いつだってお別れってこんな感じよね。その先にきっと新しい未来がある。

 

納棺スクールを見学した件

水曜日、梅雨の晴れ間のプチ遠足にまいりました。春から受講していた死を通じて生を学ぶという社会人講座の、教授と受講生の皆さんとご一緒に。行き先は、納棺師スクール。おくりびとの学校です。

親切丁寧にカリキュラムの一端を見せてくださり、また法律から倫理からメイクまで、納棺についての詳しい背景までも。さらに、著名な納棺士の先生との質疑応答の場も用意してくださいました。いま日本には2000名のプロの納棺師が存在し、そのうち高い技術や人間性を持つ「本物」は350名くらいだそうです。

 納棺の儀式を映像で見せてくれました。父の葬儀の際に見たものや、映画「おくりびと」で見たものと同様に、とても美しいパフォーマンスです。学長のお父様、やはり納棺師だった方が、能や舞の所作をとりいれて完成させたそう。また、それまでは白衣着用でおこなわれていた納棺を、シャツにネクタイ、黒いベストという服装に変えたと。死者への敬意をあらわすために。以降はこのバーテンさんみたいな洋装が、美しい所作による死装束へのお着替えとともに、日本全国の納棺のデフォルトになったらしい。お葬式を準備するための「作業」だった納棺が、死者を敬う「儀式」になったんだなぁと思いました。先代さまは、納棺界(界?)の世阿弥やね。文化は成熟する前のどこかでブレイクスルーがある。

 

で、わたしが感じたこと。華道や茶道、日本舞踊などに通じる様式美の世界ではあるけれど、扱うものはご遺体であり、お客さまはご遺族である。納棺師のお仕事がスキなく美しく洗練されるほど、所作が熟練した完璧なものとなるほど、それはマニュアルどおりに動くロボットのようにも見えかねないのではないか。そこに心が見えるだろうか。愛する人を亡くして傷ついているご遺族ほど、繊細に感じ取るんじゃないか。と思うと、なんとシビアな、手抜きどころか決して心を抜くことができない、人間性を深く問われる職業なのではないかと思いました。(本当はどんなシゴトもそうだけどねー)それが出来る人がきっと「本物」。

このあたり、生徒さんにどんな教育をおこなっていくのか、詳しく聞いてみたかったけど時間切れ。納棺士の先生にはシゴトを通じてどんな死生観が育まれたのか、それはどういうものか、詳しく聞いてみたかったな。

 

他、棺桶に入ってみたり、付属の超モダンなビル寺の全自動お墓参り(勝手に命名)を見学したりして、たいへん刺激される遠足となりました。棺桶体験は、わたしが入ると洒落にならんな、と思いつつ好奇心に負けた。生きたまま入ると逆に長生きします、と言われて、そいつはありがたいなよっこらしょっと入棺。中に横たわり、顔の上の観音扉が閉まると、意外なことになんだか落ち着く安らぎの世界。こころが静まり、感覚がふわっとする。アレ?この感覚、何かに似ていると思った。アレや!アルタードステーツや。水タンクに浮かんで、五感を遮断するやつ。フローティングカプセル、アイソレーションタンクともいうアレ。おもしろい。ふぅ・・・棺桶に入ると疲れが取れるぜ。

不謹慎ですいません。ちなみに老教授も嬉しそうに入ってた。

歌うスズキさん

去年のこと。古くからの友人であり、浄土真宗の僧侶のスズキさん(女性)に病気の相談をして以来、スズキさんはいつも気にかけてくれるようになりました。

上京されるたび毎度ファミレスで雑談の相手をしてくれるのですが、とりとめのない会話の中に、不意に重要な気付きやもの凄いキーワードが挟まってきます。スズキさんに限らず信仰の人は日頃まったく普通にしていても、一点どこか研ぎ澄まされたところがあるように思います。それが、ぐだぐだの俗物トークの泥水の中で急にキラっと光るから、言葉乞食なわたしは慌てて拾い集めてしまうのです。傾聴とか、唯識とか、今まで知らなかったそういう言葉も拾わせていただきました。そこから探求と思索のドアも開くというもんだよね。スズキさんいつもありがとうございます。

スズキさんはお経だけでなく歌も歌うシンガーソングお坊さんで、ギター1本と南無阿弥陀仏を携え、1年中日本中を旅しています。ライブハウスの他にもあちこちのお寺で、時には違う宗派のお寺でも、何かのデモや集会でも、呼ばれるがままにどこにでも行って誰にでも歌っているみたい。辺野古で歌ったよーとお土産に貝がらをくれたりしてびっくりする。でもイデオロギーはなくて、なんだかニュートラルなスズキさん。酒飲みで情緒不安定で情が深くてやさしくて面白い、自慢の友なのです。

 

そんなスズキさんから先週、同じくお坊さんのテンパクさんとのデュオによる、4枚目の新作CDが届きました。きっちりと高品質サウンドで響きわたるスズキさんとテンパクさんのメッセージ。 「大丈夫」という収録曲は、ライブでも何度か聞いていて、

 

大丈夫 安心して 歩いて行ける

 

という歌詞がいいなあ、好きだなあと思っていました。実は去年、わたくし不安と焦燥のあまり、えらいこと高額な闇治療に心を奪われ、お金を払うかどうか深刻に悩んだことがありました。わたしが毎朝1時間ほど散歩しているのを知っていたスズキさんは、「今までどおり、歩いていけばいいのじゃない?」と言ってくれました。それでわたしは少し安心して、歩いている自分をもっと信じようと思ったのです。その歌詞のままに。

 

大丈夫 安心して 歩いて行ける

 

ところが昨夜、改めてCDを聴きながら歌詞カードを見て、愕然としました。歩いていける、にはなんと

 

歩 い て 往 け る

 

という文字が当てられていたのでした。 往 け る ってか。今頃になってスズキさんの言葉のほんとうの意味を受け取りました。スズキさんはこの歌を、死にゆく人に向けて歌っていたのです。そうか。いま生きている全ての人はいずれ死にゆく人で、人はみな死につつある今を生きている、と浄土真宗の本に書いてあったよなあ。スズキさんは公私ともにたくさんの死を見届けてきたし、去年は死刑囚を見送りました。獄中からもらった1000通のお手紙や、面会室のアクリル板越しに合わせた手のひらや、処刑されたご遺体の引き取り。その壮絶な事実が「すべての罪はわが身にあり」という本に載っていて、彼らのことを詳しく知らなかったわたしは、読んで結構なダメージを受けましたが、それでも大丈夫だとスズキさんは歌うのです。

 

 大丈夫どんなにこわくても

 大丈夫どんなに淋しくても

 大丈夫安心して生きて往ける

 花びらは散っても花は散らない

 

 

CDでは蓮如上人の「白骨の御文」にも美しいメロディーがつけられて、歌われています。Amazonではまだ売っていませんが、そのうち販売するそうです。今はどこで買えるの?と聞いたら、京都の念珠店や法衣のお店で買えるよ、っていうので、いやそうじゃなくてタワーレコードとかで売ってくれ頼むからとお願いしておきました。

 

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デス・エデュケーション

ずっと病と死を意識するほかない毎日を過ごしてきて、

不安、孤独、絶望の果てに

荒涼殺伐としたこころを持てあまして

ウロウロのろのろしていました。

本を読みネットを漁りセミナーに参加し

さらに、宗教だスピリチュアルだとなんでもあり。

高速道路や国道じゃなくても、脇道に行っても、

奥の細道に咲く花が美しかったりもするし

獣道で野生動物に会えたらちょっと嬉しいし、

ただ怖がる日々よりも、なんかオモロイ毎日をと。

 (無粋だけど補足。

  高速道路や国道=標準治療、脇道=それ以外ね)

 

すべては乗り越えていくために

自分を再教育する生き方のチェンジ、へのチャレンジ。

どこまでうまくいっているのかわかりません。

しかしこうやって常に何かやって、何か考えているのが

束の間の安心をくれたり時には楽しかったりするのも事実でした。

 

一方でそういう毎日が、しょせんお茶濁しかもしれず、

あれ、これってもしかしてどん詰まりなのかなー

という気持ちも常に同時進行してきました。

 

しばらく前に、もう自力での自分再教育はいったん休んで、

ここは大きくフラットに、アカデミックにやってみよかな!

と思い立ち、今春からとある大学の

社会人向けの教育講座に通っていました。

テーマは死を学ぶ、死を通じて生を考えるというもので全10回。

途中下痢と発熱で欠席した日もありましたが、

人文系の老教授による素晴らしい講座でした。

(大学って、科目ごとにこんな面白い講義を日々やってるんだな。

うらやましいなー)

 

講座では、宗教、哲学、歴史、社会、文学などなど

毎回教授が出してくるジャンルを超えた

古今東西の膨大な「死の文献」がどれも興味深く、いちいち面白く、

貴重なものばかり。ぐぐっても出てこないものも多かったのは、

それは、有名な歴史上の人物や書物ではなく

市井のひとびとの死を紡いだ記録が多かったからかもしれません。

古い書籍や古文書のコピーや、手書きの資料が多く、

後から調べ直しができないので

お話の内容を聞き漏らすまいと毎回必死のメモ取りでした。

 

講座の内容をファイルにして、いま改めて読み直しています。

すると、とりとめないほどに膨大な資料の向こう側から、

名もなき人々が、ときには1匹の犬や猫までもが、

それぞれの生の主役として生きて死んでいった気配が

おぼろげな形をとりながらも

強いちからを秘めて、立ち上がってくるのです。

これを受け取り、そこに目を向け続けてきた教授の

人としてのやさしさに気づき、いま感動しています。

 

・・・とここまで書いて。

それでもまだわたしのこころは定まりません。

それでも受講してよかった。

新薬開発のニュースは希望をくれるし

こころにフォーカスする患者セミナーも

前向きになれるよいものだし、

最近、心理カウンセリングも受け始めて

誰にも言えなかった気持ちをべらべら喋る解放感もありがたいです。

でも、今回の死の教育講座は、

視野を、世界を、一気に広げてくれたように思います。

ああ、見晴らし山にはいい風が吹いているねえ。

 

 

G線上のアリア

G(がん)を生み出す原因に、3G「頑張りすぎ・我慢しすぎ・頑固」というのがあるらしい。わたしたち患者はピーンと細く張り切って、弓をあてればギギーッとメロディを奏でるG線上に立っているんだと思う。(我ながらうまい表現を考えついたよ、美しいなぁ)

 

土曜、患者さんのセミナー&ワークショップに行ってきました。またまた「がん患者のこころの在り方」系。Facebookに告知が出ていて、ふと気になって発作的に参加してみました。参加者は12名、1名のみ男性で他は女性ばかり。講師の方がその筋では著名な方らしく、わたし以外はファンクラブ風。自己紹介によると、どなたもめちゃめちゃ細い命のG線をギリギリに張り切ったような、ステージの進んだ患者さんたちでした。でもそれは強く固い線で、奏でる調べはとにかく凄い、音量も曲も凄いヘビーメタルで風圧に圧倒される。

つまり、みなさまめちゃめちゃよく喋る。語りがすごい。元気。タフ。明るい。話が長い。多少の強がり風味があっても、やりきってる感がありました。あまりにパワフルすぎて頭痛と目眩がおこりましたが、いい刺激をたくさんもらったと思います。女子は強いね。わたしもきっとね。

セミナーの内容はとても良かった。いままで知り、学び、考えてきたこと、最近おぼろげに整い始めている自分の生き方のスタイルを、明快に研ぎ澄ましてくれた気がする。「治療とこころとからだを一致させるためのノートをつくる」という内容。デスノートならぬライフノートだなー、などとまた上手いことをひとりごちて、ご満悦。うむ。苦しうない。余は満足じゃ。

 

わたしには、あのように人前で自分の思いを語れない。伝えられない。そのかわりにここでブログを書くのです。自分のやりかたでいいと思った。

セミナー出席の12名中、4名がすい臓がんでした。うち1名の方が5年半生存という、文字通りの生え抜きエース級。それだけで勇気がわいてくる。また出席者のお1人が熱心なクリスチャンで、明日はキリストの復活の日よ、あなたがたもわたしも復活するのよー!と仰っていて、美しい光を感じました。そんな今日のわたしのアリア。