すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

手のひらから音が生まれる

昨日の朝タイから帰国して、夜は市ヶ谷の旧日仏学院へ,テレシン(テルミンシンセサイザーが合体したような不思議な楽器)のコンサートに行きました。タフだなーわたし。

テレシンの奏者は古い友だち。作曲家でテルミン奏者でその昔はパチンコ攻略仲間だった人(←お互い屑やな〜笑。もうパチンコは10年以上やっていない)。今はグルノーブルでアーティスト活動をしていて、そんな彼がこのたび絵本を描き、同じくフランスからやって来たピアニストとともに出版記念コンサートを開いたのです。もう本当に、長いこと会っていませんでした。この先、もう会えないかもしれない。だから、旅の疲れもあったけど行くことにしました。

 

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テルミンは不思議な楽器です。木の箱から伸びているアンテナに手をかざすと、ひょぉ〜おおぉぉぉ〜、ふりゅぅぅぅぅ〜、ホォォォォォ〜と、まるで風のフルートのような音が出て、手や指の微細な動きやアンテナとの距離で音階を奏でます。例えると、お化けが出てくるときの音に似ています。折しも昨夜はハロウィン。不思議な音のコンサート空間に、自由で無邪気なお化けが出たわー! 実際はお化けじゃなくて、今回のコンサートのテーマである「テルミン恐竜」(テルミンのアンテナを持つ恐竜)が出たのです。月光の森の中で、静かな夜風とたわむれ、人間の少女と遊び踊る恐竜の姿が見えてきましたよ。本当ですよ。

途中絵本の映像と朗読をはさみ、後半の演奏はますますのびのびと自由なものでした。パーカッションもピアノもどんどん奔放に、自由に、不思議な音を放っていくのです。最初に感じた、テルミンに楽譜ってあるの?それってどんな記述方法なの?などとといった謎は完全にどうでもよくなり、わたしもまたどんどん自由なこころになって、奏者の手からキラキラと飛び出しては消え、また生まれてくる様々な音を感じました。もし光や影に音があるなら、きっとこういう音色なのだと思いました。

そんな音たちが、あとからあとからどんどん生まれてくるので、音を追いかけることができません。メロディを記憶することもできません。アンテナにかざされた手は、常に何かを掴もうとしているように動きまわるのです。だけど、その手のひらは決して閉じられることはなく、何ひとつ掴まないままに、また次のアクションやストロークにつながっていきます。楽しそうに踊るように、消えてはまた生まれ続ける音にこころを遊ばせるだけ。

 

こころの平穏を求め、がん治療の一助になればと願い、日々瞑想を学び実践していく中で、本やガイド動画などで常に言われている「手放すこと」「いま・ここに集中すること」が、わたしにはできませんでした。それを取得しようと躍起になるほど、できない自分に不安になり、自信が持てず、こころは平穏に至ることなく、焦り、あきらめ、でもあきらめきれずにまた躍起になるという、「いま・ここの実感」「手放し、捨てていく」こととは真逆の自分でした。それがテルミン、ピアノ、パーカッションが生み出す自由奔放な音の中で、あっ!!きっとこれなんだ!!と、こころの中で何かが繋がった気がしました。

もはや楽器演奏というよりも、音を出すことがただ面白いよ!といった展開もあり、グランドピアノの中に手をつっこんで弦を棒でたたいたり紐でこすったり、テルミンの箱をコンコン叩き、貝殻や木の実をじゃらじゃら鳴らし、もはや本来の楽器の使い方とは全く違う演奏。楽器を見たことがない子どもなら、こんなふうに音を出して遊ぶだろう。いま・ここ・この瞬間に生まれては消えていくいろいろな音が、無限の自由が、あまりにも楽しくて幸せで泣きそうになった。太古のお祭りの夜、人はきっとこういう音で遊んだのかな。生演奏って、ライブって、音楽って、本来こういうものだよねということに気づきました。音が楽しいと書いて「音楽」。

音楽は、もともと手のひらに入れるようなものではないから、手放す必要もないんだと気づいた。そして、いま・ここを意識することは、いま・ここへの執着でしかなかったことも。瞑想の本にそんなことは書いていなかった。

テルミンユートピア、テルミノトピア。行ってよかった。チェンマイへの旅がまだ熾火のように熱を持つまま、不思議な音に遊んだ東京ハロウィンの夜。あの感覚、あの感動を、どうかこの先も忘れませんように・・・

 

絵本「テルミノトピア」には、音楽が聴けるリンクが載っている。そのうちAmazonでも買えると思います。この友人にも健康問題があり、どうか元気でいて欲しい。

改めて、アーティストっていうのは素晴らしい人たち。先日、見に行ったすい臓がん患者さまの絵画の個展でも感じたことだけれど、自身の表現を持ち、発表することってなんと幸福なことでしょうか。

 

 

お墓のない国、タイ王国

いろいろあって現在、タイの古都チェンマイに来ています。数時間後にはもうバンコク経由の羽田便の中。

今回はチェンマイから車で3時間ほど山に入った棚田に行き、田んぼの農家民宿に泊まるというのがメインの旅。いつもお世話になっている千葉・鴨川の田んぼの先輩がたがタイに棚田視察ツアーに行くというので、チェンマイ現地合流でツアーに混ぜてもらったのでした。(日本からのツアー参加は持病のある人は無理だといわれたため。もし何かあったら迷惑かけちゃうので、自己責任で勝手に現地合流)

田んぼでの3日間、現地の米局の方や地元農家の方などからお話を聞くためにタイ語←→日本語の通訳さんが来てくださっていました。この通訳さんから、いろんな興味深いお話を聞きました。

と、前置きが長くなりましたが。

タイは敬虔な仏教国。特にチェンマイなんてまるで京都や谷中みたいに至るところお寺だらけ。なのにどこにも墓地がありませんでした。山に入ってからもお墓がありません。とても不思議に思い、通訳さんにそこを深掘り質問してみました。

なんとタイ人は王族を除き、誰一人としてお墓を持たないそうです。どんなお金持ちも、地位の高い人もお墓がない。「人が死んだらみんなでお棺を引っ張って火葬場まで行列し、お顔にココナッツミルクを塗ってお別れして、それから火葬して、そのまま骨を持ち帰ることなくその場にうっちゃる。以上」

通訳さんの解説。日本とは違う、よりオリジンに近い仏教の教えが息づくタイ王国。誰もが輪廻転生を素のままに信じているため、そもそもお墓という概念がない模様。人は死んだら終わりではなく誰もが輪廻転生するから、お墓だの先祖供養だのは矛盾するのです。当然、お寺には檀家制度もないし法事もないそうです。なのに、なんでタイのお寺はこんなにきらびやかで立派なのですか?それに、チェンマイのお寺は参拝料をとりません。一体どうやって運営してるのですか?などなど通訳さんに質問攻め。回答、タイの寺院、タイの仏教界は、すべて信仰篤きタイ人たちの寄付のみで運営されてるとのことでした。

 お墓がないのがあたりまえ。死んだら焼いておしまい。

いやーびっくりした。なんだか爽やかだと思いました。なんだか素晴らしいと感じました。

えらく感銘を受けたので、棚田ツアー参加者の皆さん(60代、70代の方々)にこの話を受け売りトークしてみたら、ご一同もまた驚き、絶賛、シンパシーの嵐。皆さんお墓やお仏壇のことが悩みの種になる年代であるし、自然を愛し、土を愛し、農作を嗜む人びとゆえに、お墓を持たないタイ人の死生観には、憧れに近い感情がわき上がるのです。多分。

 

「お墓のない人生は、はかない人生どすなぁ」by 川波忠兵衛

そんなローカルCMを見て育ったけれど、はかなきものこそ美しく愛おしい。タイっていい国ですね。ますます好きになりました。

 

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秋蝶

不思議なことに今朝、いつものラジオ体操の公園で、蝶がひらひらとやって来て、わたしのかたわらを離れずにずっといる。秋風にふわりと遊んでいる秋の蝶。まだ羽化したてのようで、とてもきれい。すぐに、「あっ、Dさんだ」とわかりました。今まで、迷信めいたことは信じられずにきたわたしですが、今朝は何故かDさんだと確信した。すると空は晴れていたのに、ぽつぽつと雨が落ちてきました。 

Dさんはちょうど一週間前の木曜に旅立ちました。朝早く、今朝と同じくらいの時間。彼女は口腔底がんと食道がんで、最後は肺炎。お葬式もお墓もなく火葬だけと教えてもらい、土曜日、火葬の朝に、お花やさんで「バラの花はやめときましょうね、トゲがあるからね」と教えてもらいながら、可愛い花束をつくってもらって持って行きました。

食道癌の手術後に食事がとれなくなって、LINEで食べ物の話ばかりしていたDさん。「肉!リブステーキ食べたい!」ばっかりだったから、お花の代わりにリブステーキを持って行こうかと一瞬思ったくらい。冗談じゃなく本気。でもお花にしておいてよかったな。だから、きれいな蝶々になって会いに来てくれた。

 

長年の仕事仲間で、同い年で、友だちだったDさん。華やかでお洒落さんでさみしがり屋。3年前に口腔底がんと食道癌で、東大病院で大きな手術を2回した。彼女には家族がいないので、わたしは仕事の合間、手術や検査に付き添わせてもらっていました。いつも湯島駅から無縁坂をてくてく上がって会いに行っていた。あのときDさんを助けたくて、たくさんガン関連の本を読んだ。そのときの知識が今、わたしが毎日を生きるための下地になっています。Dさんありがとう。

 

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へそヘルニア

最近おへそのあたりが凸っております。腸がぽこっと出てるのです。サイズはたこやきくらい。銀だこの。ちょっと大きめの。焼くとき失敗した形が変なたこやき。 

今は亡きすい臓がんの先輩が、「手術後にお腹から腸が出てくるかも。気をつけて、ベルトで押さえて」とアドバイスをくださっていました。あー、これかぁ。これがそうなのかぁ。

 

リンパ先生が、わたしのお腹をマッサージしながら「おへそのまわりには穴があいてるのよー。お腹を押すと、中身がぽこっと出るのよ。ほらー、ね?」と実演してくれた。お腹を指で深く探ると確かに、そこには腹筋がなくて、皮膚の奥にぽっかり穴が空いているのがわかりました。直径6センチくらいの深い穴、地底王国アガルタに通じていそうな不思議な穴。そこから腸がうにょーんとはみ出てくる。いやーん、かっこわるー。調べたらへそヘルニアというらしい。これが固定したものがデベソらしい。

ここは腹筋がないエリアなので、筋トレして筋肉で閉じ込めるわけにもいかない。それどころかトレーニングなんかやるとお腹に力が入ってますます出張ってきそう。

上から押さえておこうにも腹巻きでは力不足だし。この世には、ぬくもりとやさしさだけでは押さえられないものがあるねぇ。しみじみ。Amazonで売っているへそヘルニア専用の腹ベルト、結構な高額商品で0.5秒でくじける。

そこで考えてみました。何か大きめで、厚みがあって、柔軟性もあるプレートのようなものを、常にお腹にあてておくとよいのではないか?腹巻きでサンドイッチして、、、と考えるうちに少年マガジンを挟むというのはどうだろう?と思いつく。おっ、なかなかいいね。ナイスだね。へそヘルニアがフラットに整うばかりか、流れ弾からお腹をガードすることができる。これで、やくざの事務所にカチコミにだって行けますね。少年ジャンプよりもマガジンが気分だ。今ならチャンピオンでもいいかもね。バキ道も始まったしね。そうだ!和装で帯をつけるときシワにならないように挟む板、あれを装着するのもいいかもね。あの帯の板はなんて名前だっけ。あぅ。などといろいろ考えて遊んでみたけど、結局は考え落ち。

それで今朝、ドンキホーテのフィットネス売り場でウェストシェイプ用の加圧ウェアを買ってきました。暖かい。ウエストもくびれる。腰痛にもよさげ。これでしばらく様子を見ますよ。

連鎖

先週末の3連休。心と身体によいと思われることを集中的にやってみました。

 

前日:散歩→業捨(この件は改めて書きたい)

1日目:散歩→鍼灸→リンパマッサージ→神社祭礼(夜祭)

2日目:散歩→深川不動参拝→ランチ→カラオケ→神社祭礼(本祭)

3日目:農作業

 

まず業を捨てるという、謎の整体術で心身の下地を整えました。体調が上向きになった気がする。長年の首の痛みが解除された。

翌日、鍼灸からリンパマッサージのコンボは絶大な効果実感。リンパ流しの天才T先生、内臓をじっくりじっくり揉み込んでくださり、その後は圧倒的ボリュームのお通じ。圧巻のすっきり感。自分でもびっくり。いろいろ悪いものが出た感じがする。

業もお腹の中身も外に出し切った翌日、お不動さんで邪気も外に出す。今回で3回目となる護摩供養。ご真言「のーまくさんまんだ〜」を思い切って、大きい声を出して。お腹の底からまた何か諸々の禍ごと罪汚れが出て行く感じがする。うんたらた〜、意味がわからないけど特に好きなフレーズ。

そして門前の「近為」で昼食。京都の実家の近所に本店があるおつけものやさん、こんなところで故郷の味、しみじみ有り難し。お茶漬けをいただきながら護摩をご一緒させていただいた方(初対面)から、素晴らしい情報がもたらされる。

宇宙ロケットの発射を見に行く情報。長年の夢でした。情報主さまのおすすめはロシア、バイコヌール基地。1.5キロの至近距離で熱気と爆風を浴びてリフトオフですって。聞いているだけで興奮。絶対に行くと心に誓う。来年末、もし野口さんがソユーズに乗るならそのとき!一気にテンションが上がり、免疫力が爆上げされていくのを感じる。こんなにワクワクしたのはいつ以来でしょうか。さらにカラオケで超へたくそにBUMP OF CHICKENの「カルマ」を絶唱し、約束は果たされる!と念には念を。さらに氏神さまの祭礼。すっかり毒気の抜けた心に夜風とお神楽が吹き込んできました。

翌早朝のバスで鴨川に行き、畑仕事。大根、にんじん、蕪、来春の希望の種を蒔く。ハイテンション続く。帰り道、鼻水とクシャミが止まらない。

やったー!元気になった免疫力がありあまって秋草のアレルギーを起こしているんだよ花粉症ウェルカムバック!などと、調子に乗っていたけど、夜になって風邪を引いてしまったことに気づく。

いまだ咳と発熱。でも大丈夫。欲張りすぎただけ。きっとうまくいくよ。

 

ほったらかし療法って

昨日、新しい本屋さん。神保町ブックセンターで待ち合わせ。岩波ホールのお隣、岩波書店の本屋さんは座り読みOKのカフェと一体化した素敵な空間で、当然ですが岩波書店の本しか売っていません。どんな本やさんよりも、科学ライブラリーの本が沢山(当然)で夢中で立ち読みしてしまいました。どれも面白そう。

それにしても雑誌やマンガやMOOK本のない本やさんの清々しさ、いいなぁ。駅ビルの有隣堂も便利ですが、全然違う雰囲気。神保町いいなあ。自分がちょっと賢い人になったような気分が味わえました。そして、「当店今週のベスト10」棚から5位と10位の本を購入。5位はアニメ監督高畑勲さんの岩波ブックレット。10位は「作家がガンになって試みたこと」高橋三千綱

 

そして今日、「作家がガンになって試みたこと」読了。かなり役立つ。かなり面白い。この方、糖尿病、肝硬変、胃がん持ちでどれも深刻。肝硬変と癌については現在、ほぼ無治療でお元気。胃がんは放置→退縮した模様です。本の内容は、作家の野放図な生活の中でカラダに何が起こり、どんな医師に出会い、死を宣告されながらも何を考え、何をしてきたか、そして今何をしているかが実体験として、作家さんの面白い筆致でまとめてあり、読み応え抜群でした。

奥付を見ると初版は今年6月まだ新刊。だから内容はほぼ最新。わたしにとって圧巻だったのは、いくつかの自費治療を受診したくだり。幹細胞療法、樹状細胞免疫療法など、その理論から作者の体験談までが面白くわかりやすく書かれていて、いままで難しくて「???」だった理論的なことも理解できました。作家さんの文章力って本当にすごいなあ。

他にも、がん患者なら一度は検討したことがある療法がぞくぞく。iPS細胞にかける期待や光免疫療法、温熱療法、果てはお祓いにまで言及あり。三千綱さんは、がんもどきの近藤先生のシンパのようですが、そこの賛否は脇に置いておいても、今までわたしが読んできたがん関連本の中では読んでよかったと思える一冊でした。そして、作者が今も生存している理由。最終章にでてくる「ほったらかし療法」はかなり共感できるもの、というか、わたしの考え方ややり方に似ていることも多々あり、読んで勇気と希望がわきました。三千綱さんほどおおらかでも楽天的でもなく、標準治療もきっちり受けるし医者を信頼し尊敬もしているわたしですが、なんだか陽気で明るい気持ちになれる、うれしい読後感です。

 

 

 

 

 

半年

やせがまんばかりで

もう半年過ぎたが

何が変わったか誰を愛したか

頭の中でいま夢がくずれだした

なんとかなれ

 

という、古井戸の歌が頭の中でいま!

 

すい臓にがんが見つかって

検査して入院して手術して退院して、

半年が過ぎました。

 

いろいろあったし、やったし、考えたし、

あっという間だった気もします。

がんに関する本は50冊以上読んだ。

ネットの情報も根堀葉堀した。

いろんな人に会い、お話たくさん聞かせていただいた。

ところが何が変わったかと自問しても

そんなに変わっちゃいないのです。

心の底から変わろう変えたい変わらなくちゃと

必死だったけれど、

がんばればがんばるほど、

それって自発的に意図的にがんばるものなのか?

作為的な変化は、わたしが求める「変化」とは違うんじゃないか?

などとコリクツをこねて自分不信になる。

 

しかし誰を愛したかと振り返ってみると、

誰も彼も愛したと思えます。

目に映り肌を撫でていく日々の情景も、

瞬間の出来事や風にそよぐ猫の毛までも

こころから愛したと思います。

瞬間に神が宿る、一期一会、

行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。

もう二度と出会えないかもしれないという

立ち位置から見るこの世界は、愛すべきものだらけ。

きれいだわ。尊いわ。ほんとうに愛しいわ。

いまもこれからも。

 

猛暑の夏が終わり疲れが出たのか

体調に波があり、お腹の具合が整わない今日このごろ。

長引く術後の痛みの緩和目的で鎮痛剤を始めたら

まったりとして痛みを忘れることができるようになり、

がんのことも忘れて平和な時間も増えるけど、

その代償はおそろしい便秘や、不気味な白日夢を見ることなど。

白日夢はとくに怖い。

謎のモノグラムや茶碗の絵柄(なんでや)、

知らないおじさんの顔とかが見える。

いまは痛みと副作用とまったり感を天秤にかけ、

鎮痛剤を継続するかどうか悩ましい。

 

それから抗がん剤TS-1。

とにかく半年やりましょう、という方針で始めたけれど

いよいよ明日から最終クールが始まります。

と思ったけど、なんとこれが最終ではなかったのでした。

「半年で終わるかこの先も1年続けるか。

自分で決めてください」と先週、主治医が。

 

抗がん剤の副作用と費用がつらくないなら、続けていいです。

半年使用は再発予防のエビデンスがある。

しかし1年2年と続けることで

さらに再発率が下がるというデータはない。

各病院や各医師のレベルで取ったデータを見てきたが

わたしの知る限り半年以上の継続が優位なデータはなかった。」

 

なのに、なぜ「1年間続けるかい?」って聞くの?

 

「TS-1終了から1年後、2年後に再発した患者さんが

『あのとき継続しておけば・・・』と悔やむのを何度か見てきた。

わたしは患者さんに後悔して欲しくない。」

 

それが理由だそうです。

「だから自分で決めなさい、あなたの希望どおりにしますから。」

 

あああああああ。わかる。わかるよ。超わかる。

だけど、なんじゃそれー?だよ。だけど、わかるよ。

その後悔の気持ちが生々しいほどわかるよ。

鎮痛剤、抗がん剤

その他もろもろの「きのこる術」たちもみな同じ。

 

それで、もう少しあと少し考えることにしました。

そんな半年目です。

 

なんとかなれ。