すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

懺悔の値打ちもないけれど

「懺悔の値打ちもないけれど、私は話してみたかった。」という歌がありました。阿久悠さん作詞。昭和歌謡には時々恐ろしい歌がある。愛なき主人公の苦悩は14歳に始まり、19歳で犯罪者となり、そして最後まで愛はどこにもない。そういう歌です。

わたしはこの歌の主人公より何倍も年齢を重ねているのに、懺悔したい、謝りたい、許して欲しいと虫のよいことを考えてしまい、いまだ愛を求め、心はくすぶり続けています。

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おととい、左脇腹から背中にかけてお腹の内側、膵臓があったあたりが強く痛み、酷い下痢があり、そこへもうすぐ始まる抗がん剤への恐怖も加わり、気分が落ち込んでどうしようもなかったのです。こんなときは些細なことが起爆剤となってしまう。いかんいかん落ち着け!

なのにわたしは、たまたまそのとき運悪くメールやLINEで語りかけてくれた人たちに矛先を向けてしまった。なんの落ち度もない相手を、とても傷つけてしまった。

いらっとする、憤る、それを表に出す、愚痴る、人を悪しざまに語る、弱音を吐く、誰かのせいにする・・・ずっとそういうのが嫌いだった。ダサい。美しくない。自分も周りも誰も得しないし、誰も幸せになれない。そんなことをやっちまった日には、さらにその後も自分の中で延々と後悔が続いてしまう。何よりこの後味が嫌だったはずなのに。

辛いときこそ、人として駄目な部分がどんどんあぶり出されてくる。これを「だってがんになって辛いから。追い込まれちゃってるから。(しかたないでしょ?)(だからわかってよ!)」と免罪符にしてしまいかねない、そんな理由で許しを請うてしまいそうになる一層駄目な自分に気づいてしまう。 がびーん。

 

懺悔の値打ちもない。だけど話してみたかった。