すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

デス・エデュケーション

ずっと病と死を意識するほかない毎日を過ごしてきて、

不安、孤独、絶望の果てに

荒涼殺伐としたこころを持てあまして

ウロウロのろのろしていました。

本を読みネットを漁りセミナーに参加し

さらに、宗教だスピリチュアルだとなんでもあり。

高速道路や国道じゃなくても、脇道に行っても、

奥の細道に咲く花が美しかったりもするし

獣道で野生動物に会えたらちょっと嬉しいし、

ただ怖がる日々よりも、なんかオモロイ毎日をと。

 (無粋だけど補足。

  高速道路や国道=標準治療、脇道=それ以外ね)

 

すべては乗り越えていくために

自分を再教育する生き方のチェンジ、へのチャレンジ。

どこまでうまくいっているのかわかりません。

しかしこうやって常に何かやって、何か考えているのが

束の間の安心をくれたり時には楽しかったりするのも事実でした。

 

一方でそういう毎日が、しょせんお茶濁しかもしれず、

あれ、これってもしかしてどん詰まりなのかなー

という気持ちも常に同時進行してきました。

 

しばらく前に、もう自力での自分再教育はいったん休んで、

ここは大きくフラットに、アカデミックにやってみよかな!

と思い立ち、今春からとある大学の

社会人向けの教育講座に通っていました。

テーマは死を学ぶ、死を通じて生を考えるというもので全10回。

途中下痢と発熱で欠席した日もありましたが、

人文系の老教授による素晴らしい講座でした。

(大学って、科目ごとにこんな面白い講義を日々やってるんだな。

うらやましいなー)

 

講座では、宗教、哲学、歴史、社会、文学などなど

毎回教授が出してくるジャンルを超えた

古今東西の膨大な「死の文献」がどれも興味深く、いちいち面白く、

貴重なものばかり。ぐぐっても出てこないものも多かったのは、

それは、有名な歴史上の人物や書物ではなく

市井のひとびとの死を紡いだ記録が多かったからかもしれません。

古い書籍や古文書のコピーや、手書きの資料が多く、

後から調べ直しができないので

お話の内容を聞き漏らすまいと毎回必死のメモ取りでした。

 

講座の内容をファイルにして、いま改めて読み直しています。

すると、とりとめないほどに膨大な資料の向こう側から、

名もなき人々が、ときには1匹の犬や猫までもが、

それぞれの生の主役として生きて死んでいった気配が

おぼろげな形をとりながらも

強いちからを秘めて、立ち上がってくるのです。

これを受け取り、そこに目を向け続けてきた教授の

人としてのやさしさに気づき、いま感動しています。

 

・・・とここまで書いて。

それでもまだわたしのこころは定まりません。

それでも受講してよかった。

新薬開発のニュースは希望をくれるし

こころにフォーカスする患者セミナーも

前向きになれるよいものだし、

最近、心理カウンセリングも受け始めて

誰にも言えなかった気持ちをべらべら喋る解放感もありがたいです。

でも、今回の死の教育講座は、

視野を、世界を、一気に広げてくれたように思います。

ああ、見晴らし山にはいい風が吹いているねえ。