すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

ようこさんのこと

患者仲間で、いい友だちだった、ようこさんのことを書いて記憶しておきたいです。

ようこさんは膵臓がん患者の集いで出会いました。かわいくて明るくて30代に見えました。ステージ4b、3人の子のママで横浜住まいで、ちょっとトッポイところがあって、港のヨーコ横浜横須賀~と脳内で歌いたくなる感じ。横須賀関係ないけど。 

出会いは去年。あの時、手術して退院して間もない頃だったわたしは、不安と孤独のなかを闇雲にさまよって患者の集いに参加。その場に馴染めず、心細く座っているわたしに声をかけてくれたのがようこさんでした。誰に対してもこまやかな気遣いをする優しい人で、ありがたくてうれしくて、患者同士というよりも学校ではじめて友だちを作った中学生みたいな気分になった。

ようこさんは集いで出会った人たちとLINEのグループを作っていて、おかげで数人の患者さんやご家族さんたちと自然に仲良くなることができました。いっきに孤独が癒やされた。もう感謝しかない。

ようこさんのかかりつけ病院はわたしの自宅からバス1本と、便利だったこともあり、彼女の通院や入院にあわせてよく会うようになりました。東京タワーがズドーンと見える談話室で、いつもお茶を飲みながらいつまでも喋っていました。病気の話はほとんどせず、世間話やバカ話ばかり。きれい事抜きのブラックな話題もあった。編み物を教えてくれて、なかなかの鬼コーチだった。病気や治療の話をあまりしなかったのは、既にお互い調べ尽くしているのがわかっていたことや、病期の違い(深刻さと残された時間の違い)もあるけれど、ようこさんとわたしは患者仲間なのではなく普通の友だち同士だったからだと思いたい。去年の暮れにはようこさんとLINEグループの患者男性と3人で漫才トリオを組んで、患者の集いの二次会でアホな漫才をして楽しかった。

この春、4月の終わり頃。横浜中華街で遊ぼうぜーと誘ってくれた。ようこさんは中華街までチャリンコでやってきた。めちゃ地元民。さすが港のヨーコ。ワタリガニのあんかけチャーハンを分け合って食べて、八重桜を見に行った。「ソメイヨシノより八重桜がスキなの。重なった花びらとちょっと濃いピンクがかわいいよね。でもピンクのバラがもっと好き。来月は横浜のローズガーデンに行こうよ。バラのアーチが凄くキレイだからねー」そんな約束をして、日本大通りのカフェで今日は楽しいしもう飲んじゃおうぜーと泡の出るワインを、ふたりでノロノロ1時間以上かけて1杯のグラスを空けて、そしてようこさんは再び自転車で去っていった。

ひまわりみたいに明るい女性だったねと患者仲間たちはいうけど、わたしにはピンクのお花さんみたいな人でした。かわいくてやさしい繊細な花びらの重なりに、小さなトゲも隠してたと思う。バラ園はなかなか満開にならず、また約束の日は雨が降り、とうとうバラを見に行けないままに、ようこさんは入院していまいました。

 

そして6月の始め、地元の病院の緩和ケア科に転院。今回はお試しだから!緩和ってどんなとこか知りたいでしょう?まずは体験入院なのよーといいつつ、ようこさんはどんどん調子悪くなっていきました。

面会に行くといつもどおり病室で、バカ話と編み物の鬼コーチだったけど、ようこさんが希望した近所のショッピングセンターも一時帰宅も叶わず。時には、同じLINEグループの患者仲間M君と連れだって、何度も病室に通いました。なんとか手伝いたいと思っていた。

ある夕方、食も細ってきたようこさんが「ジャンクなものが食べたい」というのでM君とコンビニに出かけました。ソース焼きそば、餃子、ニンニク風味の唐揚げ、そしてM君が愛する缶チューハイ。これらおっさんメニューを、病室でこっそりひっそり、3人で食べました。「くーっ。シャバの味がするぜ!」とようこさんは喜んで、一口ずつ食べてくれました。楽しかったなぁ。

 

最後までやさしくしてくれました。最後にお見舞いにいった日にはもう病室を暗くして、旦那さんとお二人で静かに過ごされていました。それでもベッドからカラダを起こして、わたしに教えてくれたレース編みのできばえをチェックしようとしてくれました。ようこさんは鬼コーチだから「やだ怖い!明日持ってくるから」と答えたら、「でも明日はもう会えないかもしれないし」と言われました。ストローで水を飲もうにも、吸うちからがありませんでした。わたしはその状況が信じがたく。アホなことを言わないで~。明日また来るわ!ほなまたね!と、病室を後にしました。10分も滞在しなかった。わたしは家に帰って、夜遅くまで必死でレース編みを修正しました。褒めて欲しかった。

 翌朝、M君と10時に病院のもより駅で待ち合わせて、また面会に行くことにしました。電車で移動中にM君から着信。駅につき、M君に電話すると、もうようこさんはそこにはいません、今朝早く旅立たれ、葬儀社に移動されたと伝えられました。東神奈川駅は雨が降っていて、病院の前まで歩き、もうここにはいないんだなと。わたしもここにはもう来ないんだなと。あの日暮れ時、M君とコンビニへ、ジャンクなおっさんメニューを買い出しにいく道すがら、この空に花火がどーんと上がったことを思い出しました。横浜開港記念日の花火でした。

 

こうして、ようこさんとはもう会えなくなってしまいました。ようこさんと前後して、この夏はがん患者の知人や友人が3人旅立っていきました。みんなどこに行ったのだろう。

 

患者同士で仲良くなるのは考え物だ。言葉にならない思いがこころの底に溜まって息をするのが苦しくなる。ようこさんとのお別れは、わたしには実父が死んだときよりもひどく重く感じられ、いつまでも沈み込む。それは、行く先に到達する時間や距離の違いはあっても、わたしもようこさんと同じ道の上にいるからかもしれない。同じ病気の道の上。

だけど、友だちの時間は短かったけど、ようこさんは私にとって特別だったし、友だちになれてほんとうに良かった。かけがえのない人だ。ようこさんが繋いでくれたLINE仲間の、同じく患者仲間のTさんが「元気だったころの姿を思い出せばいい」と言っていた。その通りだと思います。病院の談話室での長い放課後。バカ話や一緒に食べたおっさん飯をずっと忘れない。これからも横浜に行くたび、よーこさんを思うでしょう。蒲田のユザワヤにいくたび、ようこさんに叱られて編み地をほどいたことを思い出すでしょう。

6月の雨に濡れたピンクのお花さん、ずっと大好きです。