すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

新しい年

明けて2019年、元気なわたしでございます。

年末から漢方薬マイクロ波なども始めました。

「これはどう考えても100%ナシやろ?」「かえって心身に悪そうじゃ!」

ということ以外、とりあえずはなんでもやっちゃう系で

今年もあれこれ楽しくトライしてみますよ。

 

おもえば昨日は母方祖父の命日。もう20年以上前ですが、

祖父はお正月の終わりにお餅をのどに詰めて天に召されました。

高齢だったこともあり家族親族みんなで明るく見送りました。

大好物だった餅で死ねるなんて幸せ者だ。

ギャグみたいな亡くなり方で気が利いている。

お正月はニコニコのんびり過ごせてよかった。

寝たきりにもならず、家族に迷惑をかけず、見事な旅立ちである。

などなど絶賛されたおじいちゃん・・・・

わがままに気ままに生きての大往生でありました。

 

おじいちゃんの家業は代々西陣織りだったし、

家族も親族もみんな西陣織り職人だったのに、

おじいちゃんだけ「わしは織るのは嫌じゃー!」とわがまま言って

若い頃は清水焼の絵付け職人をしていたらしい。

いまも、実家にはおじいちゃんが絵付けした湯飲み茶碗が

数客だけ残っていて草の絵が描いてある。

それが全然上手じゃなくて、へなちょこの絵付けなのが微笑ましい。

 

織物だって焼き物だって、忍耐と根性の職人ワールドには違いない。

そういうコツコツ地味な作業と、頑固で閉鎖的な雰囲気が嫌で、

わたしも、従兄弟たちも、親戚の誰一人として西陣織りを継ぎませんでした。

かくして父方、母方、昔は双方とも織物職人だらけであった親族は

時とともに廃業し、今はもう一人として職人はいなくなりました。

子どもの頃、町中のあちこちから聞こえた機織りの音も

もうずいぶん前に途絶えたことだなあ。

 

金糸銀糸で織りなされる、絢爛豪華な西陣帯を見て育った。

「工賃は1万円、そやけど呉服屋さんでは100万円の帯やで」

「演歌歌手が紅白歌合戦で締める帯やで。40代やのに振り袖を着やはるんやで」

と自慢げだった父(彼も職人)ももうおらず。

思い出すままに、年の初めに昔のことを書いてみました。

過去の話はこれくらいにしとく。

 

わたしは常に、いまここから。

すべての瞬間を大切にしようと思う、その思いを忘れないようにしよう。

それが今年の目標です。