すべての瞬間を大切にするわ

と、ルイーズは言った。(映画「メッセージ」の一場面から)

鍼灸治療の「大丈夫だよ感」

生き残る方法、きのこる術において、鍼灸はよい。たいへんよいと思ったよ。※個人の感想です

 

通りすがりの鍼灸院。夜散歩していたら、おお!人通りのない住宅街のこんなところに!自宅から徒歩5分の好立地。ここなら仮にこの先悪くなっても自力で通えますなり。

 

それで翌日の朝一に電話して飛び込んだら、妙齢のきれいな中国人女性が出てきて、日本語はカタコトだけどニコニコ笑顔で一所懸命お話をしてくださいました。この方が鍼灸の先生でした。立地条件からか、看板の小ささからか、誰の紹介もなく来院する人は珍しいみたいで少し驚かれました。「診察を2週間休んでいた。エルサレムに行っていて、昨日帰ってきたとこ。今日でよかったね」ちょっと不思議な魂の物語性をはらんだ、謎のタイミングばっちり感。はじめましてよろしくお願いいたします。別にキリスト教でもイスラム教でもないという、ではなぜこの先生はエルサレムに行ったのか?詳しい話はまたいつか聞きたい。今日は鍼灸の初診だから。

 

膵臓がんの手術から20日目、痛み、体力低下、食事とれない、睡眠とれないなど問診で。その後、脈を診たり舌を診たり。「うわー。瘀血ひどい。ほらー見て!」ハンドミラーを握らされて確認すると、紫色に苔むした気持ち悪い舌がびっくりキモイ我ながら。さらに、メジャーを取り出しおもむろに傷口を測る先生。「うわー20センチ!大きいネ!」サイズに意味あるのかは不明。

 

傷口が痛んでまだうつぶせになれないので、今日は基本的なことだけやるよ。でも今日からよく眠れるようになる。しばらく通うといい。とにかく内臓に溜まった瘀血を巡らせて流して術後の回復を早くする。食事ができるようにして体力もあげていく。縫合の痕も目立たないよう薄く細くなるようにしてあげる。その先は一番大事なこと、がんが再発しないよう免疫あげていくよ。

 

そんな方針を片言で話してくれました。まさに望むところ。日本語は足らないけれども、先生のものごしから「よっしゃまかしとけ。おまえを助けたる。絶対良くしちゃるからな」という気持ちがぐんぐん伝わってきて、同時に、足にすえてもらっていたお灸が心にまで熱伝導してきて、暗い治療室に赤外線ランプがやさしく赤く灯っていて、なんというか大いなる「大丈夫だよ感」に包まれていくわたし。膵臓がんになって以来、はじめて出会ったよ、こんな大きな安心感。ほっとした。ほーーーーーーっとした。心底から。

 

そして1時間後。ハンドミラーを持たされ確認すると、目の下にあった大きくてドス黒いクマが目立たなくなり、ほうれい線が消え、なぜかリフトアップなつや肌に。なんでやねん。エステかよ。笑。これらは血行が良くなった副産物でしょう。体も軽く、指先までぽかぽかいい気分で、お腹の痛みもやわらいでいました。きっとこの先わたしにとって鍼灸はきのこるための力になってくれるだろうと思いました。

 

入院中、少しでも頭を賢くして、アホで無駄なことをせずに治療効率を上げようと思い、「代替医療解剖/サイモン・シン、エツァート・エルンスト(新潮文庫)」という本を読みました。その中で、鍼灸なんてのはエキゾチック東洋のプラシーボ効果だぜ!って否定されていました。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それでもわたしは鍼灸院に行こうと思いました。通りすがりに小さな看板を見て、ここに行こうと決めました。

プラシーボ上等。治療効果の根拠がないと言われても、あの安心感のありがたさ、そして帰り道の元気は、わたしの心身には本物だと思わせるだけのものがありました。